ある当事者の意見表明が別の人を攻撃する材料になり得る

現状は、日本テレビ(および同局のプロデューサー)、ドラマの脚本家、小学館だけでなく、ドラマに出演していたタレントやその関係者までが主にSNS上で誹謗ひぼう中傷に晒されている。さらに、批判は他の映像作品にまで及んでいる。現時点で何らかの情報を開示すると、誰かが激しい攻撃を浴びる可能性がある。

「問題を起こした当事者が攻撃されるのは自業自得だ」と思う人もいるかもしれないが、それは間違っている。あらゆる当事者には、それぞれの事実認識や主張がある。全容が見えていない中で、ある当事者の意見によって、特定の人や組織が攻撃されることは好ましいことではない。

批判合戦や誹謗中傷合戦によって、責任を取るべき人や組織が明るみに出るとは限らない。最も傷つき、犠牲になるのは、一番弱い人、一番繊細な人なのだ。

先述の通り、近しい人の死は、誰にとっても深刻な心理的な影響をもたらす。自殺者が出た場合、身近な当事者の多くは激しい自責の念に苛まれる。そうした中で、第三者が攻撃することは、二次被害をもたらす可能性がある。

上記のように考えると「故人の遺志にそぐわない」という言葉には一理あるとは言えないだろうか?

小学館と日テレの摩擦は漫画家にしわ寄せがいく

小学館以上に説明責任が求められているのが日本テレビであるが、双方の発表に食い違いが生じると、第三者を巻き込んでの批判合戦が加速してしまう可能性がある。

テレビ局と出版社は重要なビジネスパートナー同士である。多くの漫画家が声を上げている現状、およびその主張内容を見ると、取引関係、特に原作者の待遇、原作の扱いに問題があり、改善が求められることは明白である。

しかしながら、原作者や原作が尊重されていないという実態に対して、小学館側が「こうしてほしい」と主張すれば解決するという話でもない。この問題を解決するには、テレビ局と出版社が同じテーブルに着いて改善策を探っていく必要がある。

双方の関係に亀裂が入ってしまうと、テレビ局による映像化によって恩恵を受けている他の漫画家にも悪影響を及ぼすことにもなりかねない。出版社が収益を上げることで、作家を育成する原資が得られるという点も忘れてはならない。

企業間の摩擦によって、そこに属さない個人がまたもや犠牲になってしまうのは、本末転倒である。