ドラマでは出産後に恋人の死を知ったが、史実では出産前
ドラマでは無事公演を成功させた後、スズ子のお腹の子が順調に育って行く一方、愛助の病状は刻々と悪化。そして、ついに危篤となり、スズ子に知らせるべきか、マネージャーの山下(近藤芳正)や村山興業の坂口(黒田有)が悩む中、スズ子の陣痛が始まり、スズ子は愛助の着ていた丹前を握りしめて分娩室に入った。同じ頃、大阪では愛助が最期の力を振り絞ってスズ子への手紙を書いていた。
そしてスズ子が無事出産した2日後、愛助の死が告げられる。大阪からやって来た村山興業の社長秘書室長・矢崎(三浦誠己)は、愛助から預かった預金通帳と最期の手紙をスズ子に渡すのだった。
ドラマでは愛助の病状が不安でいてもたってもいられないスズ子が、善一の妻・麻里(市川実和子)に励まされ、自身の出産と向き合う様が描かれた。また、愛助が生きているかどうか分からない状態でスズ子は出産する。
しかし、笠置の自伝によると、エイスケが亡くなったのは笠置の出産直前。
「いよいよ動けなくなった。大阪医大へ入院させる」という手紙が届いた(おそらく大阪吉本の営業部長・前田米一から)ことで、大阪に行くと泣きながら訴えた笠置に、医師が「今となっては途中で生まれるか。向う(本文ママ)に着いてすぐ生まれるかのどっちかです」と言い、大阪行きを思いとどまったとある。このとき5月3日。5月15日の出産予定日まで、残り10日余りになっていた。
危篤の知らせに臨月の身で大阪に行こうとしたが…
そして危篤の報せを受けたのが、18日。その翌日、5月19日にエイスケは25歳の若さで息を引き取る。死因は奔馬性結核による急性肺炎だった。
笠置が訃報を聞いたのは、20日のお昼ごろ。山下のモデルであるマネージャーの山内は、「いつまでも隠し終わせるものではない。なまじ下手な言い方で脇の者から漏れたら影響も悪いし、これほどのことを何故知らせてくれなかったかと感情を害すかもしれない。またこれが産後にわかると血が上るということもある」(自伝)として、出産予定日を過ぎ、いつ生まれてもおかしくない笠置に訃報を知らせたのだ。
病院の応接間で、極度に緊張した顔の山内が伝えたのは、こんな言葉だった。
(笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』1948年、北斗出版社)