スタジアムの4分の1が日本人に
そもそも寡黙で反抗的でもあった野茂はチーム、監督、メディアからも批判的に評されることが多かった。
メジャー移籍が決まった時は「恩知らず、裏切り者、亡命者」と、ほとんど取材陣から歓迎されることもなかった。「いなくなってせいせいする、戻ってくるな――それが世間一般の反応だった」(『野茂英雄 日米の野球をどう変えたか』前掲著)という雰囲気の中、渡米している。
それまで1.4億円の年俸をもらっていたスター選手が、10分の1以下のメジャー最低給与11万ドル(約1300万円、当時レート。ボーナスで200万ドルはついていたが)で、文字通り身一つでドジャースに移籍したのだ。
それが1995年にナショナルリーグ新人王に選ばれ、1996年に日本人初のノーヒットノーランを達成するころになると雰囲気も一変。
野茂の試合を見ようと衛星放送の加入者も急増し、ロサンゼルスのスタジアムは4分の1を現地日本人や日本人旅行客が占めるようにもなった。
野茂英雄という“コロンブスの卵”が生まれてから、メジャー挑戦をする日本人は急増する。
1997年に伊良部秀輝ら4人が渡米、2001年にイチロー(野手としては1例目)、2007年は松坂大輔ら5人、2009年に上原浩治ら4人……。このあたりになると日本人メジャーリーガーはもう珍しいものではなくなってくる。
2012年のダルビッシュ有や2014年の田中将大などメジャーからも引き合いがくる大型移籍も実現するようになり、満を持して2018年に「58人目の日本人メジャー選手」として登場したのが大谷翔平であった。
イチローの記憶も記録も塗り替えた
とはいえ、MLBでは、25歳以下の海外選手は上限が決められている。
23歳という異例の若さでメジャー挑戦した大谷翔平は、あと2年待てば何十億円という年俸が入るはずのところを棒に振って、かなり低めの50万ドル(約6000万円)からスタートした。
イチロー、ダルビッシュ、松坂、松井秀喜などがその10倍サイズの500万~700万ドル、過去最高額でもある田中将大は2200万ドル(約23億9000万円。田中は7年間のMLB挑戦後に楽天に戻り、日本人のNPB最高年俸9億円も獲得している)の移籍だった。
だが、MLBに挑戦する日本人の最大の問題は「どのくらい長く高い評価を維持できるか」という点だろう。なにせこれまでの60人近い選手はほとんどが数年とたたずにマイナーに落ちたり、日本に帰っている。
日本人としての最高地点はイチローが19年間(2001~2019)で打ち立てた記録の数々であろう。彼の年俸は累計で1.68億ドル(約191億円)である。
だが総額でいえば、すでにダルビッシュが13年間(2012~)で2.11億ドル(約211億円)とそれを抜いている。
移籍当時は大きな話題だった田中将大の7年・1.55億ドル(約161億円)、松坂大輔の6年・5200万ドル(約60億円)といった巨額の契約金は、もはや過去のものとなっている。