戦術的成功に救われる

だが、シュトゥデントは幸運なファクターに恵まれていた。

一つには、戦闘初日の成功にもかかわらず、イギリス軍が、航空優勢を得たドイツ空軍が縦横無尽に繰り広げる爆撃に動揺しはじめていたことがある。また、通信手段が充分でなかったため、クレタ島防衛軍の司令官フレイバーグは麾下部隊の現状を正確に把握できず、ドイツ軍の圧力を実際以上に大きなものに感じていたことも、シュトゥデントにとって有利に作用した。

もう一つは、現場の降下猟兵が恐るべき消耗に耐えながら、なお戦意を失っていなかったことであった。とくに、いわゆる瞰制かんせい地点、マレメ飛行場を見下ろす一〇七高地における成功が大きい。五月二十日には何一つ良いことがなかったようではあったが、この日の夜に空挺突撃連隊はからくも一〇七高地の頂上を奪取していたのだ。

この攻撃を指揮した突撃班の指揮官は、こう述懐している。「われわれにとっては幸いなことにニュージーランド兵は逆襲してこなかった。もし、そうなっていたら、弾薬がなくなっていたから、石と小型ナイフで守るしかなかったろう」(カーユス・ベッカー『攻撃高度4000』)。

まさしく「幸いなこと」ではあった。イギリス軍が一〇七高地を取り返すチャンスは、この二十日から二十一日にかけての夜しかなかったのである。一夜明けて日の出を迎えれば、ドイツ側は航空支援を得られるから、奪還はきわめて困難になるのだった。

事実、マレメ飛行場を制圧できる一〇七高地をドイツ軍が押さえたことは、クレタ島の戦いの分水嶺になっていく。戦術的成功が、作戦次元の失敗をカバーした、珍しい例といえる。

クレタ島占領は実現したけれど…

二十一日早朝、数機のJu―52輸送機がマレメの西方で着陸態勢に入った。むろん、イギリス軍の射撃を浴びるのは必至であるが、パイロットたちは意に介していない。彼らは、マレメ飛行場攻略のために必要な弾薬を、何としても降下猟兵に届けよとの厳命を受けているのだった。

輸送機Ju 52
輸送機Ju 52(写真=帝国戦争博物館/RAF/PD-UKGov/Wikimedia Commons

続いて、急降下爆撃機の支援を受けた降下猟兵が一〇七高地を完全占領する。これで、マレメ飛行場を多正面から攻撃する態勢がととのった。午後四時、飛行場をめぐる戦闘のただ中に、第五山岳師団からの増援部隊を乗せたJu―52が飛来する。これらは対空砲火をかいくぐって、着陸を強行した。機内から吐き出された山岳猟兵の応援を得て、降下猟兵は午後五時にマレメ飛行場を奪取したのである。