俳優の東出昌大さん(35)が後輩女優3人と山奥で半自給自足の生活をしている様子を『めざまし8』(フジテレビ系)が放送し、話題となっている。作家の岩井志麻子さんは「東出さんは、『社会的なまともさ』と『危うさ』両方を持ち合わせている。このタイプは女を狂わせる」という――。
記者の質問に答える俳優の東出昌大
写真=時事通信フォト
記者の質問に答える俳優の東出昌大(=2020年3月17日、東京都港区)

本当にモテる人だけが持っているもの

これほどまでにモテるのは当然と断定され、なぜモテるのかと不思議がられる男性もいないのではないか。と、名前を出さなくても皆さんここで東出昌大さんだとわかる。

前者の断定には、長身のイケメンで人気俳優、かつて人気女優と結婚していた、という理由がある。誰もが納得できる理由ばかりである。

後者の不思議さは、不倫で離婚した後もスキャンダルを繰り返し、今は田舎の山小屋で半自給自足生活を送るほぼ無職、というこれまた誰もがうなずけるものばかりだ。

だが、御存じのように今現在この東出さんは若くてきれいな後輩女優の3人と同居して、たまにテレビなどに出れば、容貌はかなりワイルドに変貌しているものの、変わらぬ色男ぶりだ。同居の女優さんたちが口を揃えるように、本当に楽しそう。

この暮らしぶりもまた、「当然」と「不思議」を両立させているように見える。

モテもいろいろあるけれど、本当にモテる人は、「当然」と「不思議」が両立しているものだ。東出さんが、まさにそれ。

ホストにハマる女性が考えていること

有名大学卒、社会的地位の高い職業、高収入、といった完全に「当然」の方ばかりを備え、それを求められる人もいれば、周りが心配してしまう経歴、状況の「不思議」な人をあえて選択する人たちもいる。

この場合、前者はモテというより堅実な結婚相手として求められている。後者こそが世間一般の幸せよりも恋情、色欲に重きを置く、いわばフェロモンモテ、原始的モテだ。

だからモテる人の「当然」の部分より、「不思議」の部分に惹かれる人の方が沼にハマりがちだ。わかりやすい例として、ホストと客というのがある。

前者は万人に、凡百の人にも理解でき、多くの人に色気抜きでも好意を持たれる。しかし後者は、「でもあの人の哀しみや孤独の影を見つけて、理解できるのは私だけ。ううん、あの人の美点や将来性を見抜いているのも、私だけ」となる。

いったん世間一般的な幸せの形を二の次としたら、「一緒に幸せになる」ではなく「ともに苦労する」ことくらい、相手以上に自分自身を推す快楽を得られるものはない。

だって人から与えられるお得感より、自身による達成感の方が濃厚じゃないか。