本当にモテる人だけが持っているもの
これほどまでにモテるのは当然と断定され、なぜモテるのかと不思議がられる男性もいないのではないか。と、名前を出さなくても皆さんここで東出昌大さんだとわかる。
前者の断定には、長身のイケメンで人気俳優、かつて人気女優と結婚していた、という理由がある。誰もが納得できる理由ばかりである。
後者の不思議さは、不倫で離婚した後もスキャンダルを繰り返し、今は田舎の山小屋で半自給自足生活を送るほぼ無職、というこれまた誰もがうなずけるものばかりだ。
だが、御存じのように今現在この東出さんは若くてきれいな後輩女優の3人と同居して、たまにテレビなどに出れば、容貌はかなりワイルドに変貌しているものの、変わらぬ色男ぶりだ。同居の女優さんたちが口を揃えるように、本当に楽しそう。
この暮らしぶりもまた、「当然」と「不思議」を両立させているように見える。
モテもいろいろあるけれど、本当にモテる人は、「当然」と「不思議」が両立しているものだ。東出さんが、まさにそれ。
ホストにハマる女性が考えていること
有名大学卒、社会的地位の高い職業、高収入、といった完全に「当然」の方ばかりを備え、それを求められる人もいれば、周りが心配してしまう経歴、状況の「不思議」な人をあえて選択する人たちもいる。
この場合、前者はモテというより堅実な結婚相手として求められている。後者こそが世間一般の幸せよりも恋情、色欲に重きを置く、いわばフェロモンモテ、原始的モテだ。
だからモテる人の「当然」の部分より、「不思議」の部分に惹かれる人の方が沼にハマりがちだ。わかりやすい例として、ホストと客というのがある。
前者は万人に、凡百の人にも理解でき、多くの人に色気抜きでも好意を持たれる。しかし後者は、「でもあの人の哀しみや孤独の影を見つけて、理解できるのは私だけ。ううん、あの人の美点や将来性を見抜いているのも、私だけ」となる。
いったん世間一般的な幸せの形を二の次としたら、「一緒に幸せになる」ではなく「ともに苦労する」ことくらい、相手以上に自分自身を推す快楽を得られるものはない。
だって人から与えられるお得感より、自身による達成感の方が濃厚じゃないか。