ドラッカーが説く「顧客創造」とは

ドラッカー教授は多くの著作を出版されているが、主著と評判が高いのは『マネジメント』(1952年)であろう。そこで、コトラー教授が示しておられるように、マーケティングを企業にとって最も重要な機能と位置づける。企業の収益を確保し成長を司るのは、マーケティングをおいてほかにないというわけだ。企業組織の中にマーケティング(とイノベーション)以外の機能は、コストにすぎないと述べる。

ドラッカーがそう言い始めた50年代は、第二次世界大戦が終わり、アメリカ経済が大きく成長し、自動車や電機や食品などのメーカー群が大きい生産力をもつにいたった時代。安価に大量生産する力を蓄えたそれらメーカーにとって、次なる課題は、それら生産物を販売できるかどうか、消費者がそれを買い続けてくれるかどうかにある。その当時はまだ、見込み生産するしかなく、売り減らしのやり方しかなかったメーカーにとって、安定した販売市場の確保は、それこそ生死を握る課題となったのである。そこに登場したのがマーケティング(ないしはマーケティング・マネジメント)の考え方である。

ドラッカー教授は、会社で一番重要なマーケティングの機能は、「顧客創造」であると考える。企業の第一の目的というと、経済学では利益ということになるが、教授はそうは考えない。利益はむしろ結果であって、「顧客創造」こそが企業という組織の目的だと考えた。そして顧客創造は、社会にとって実現されていないニーズ(未実現の要望)を見つけだし、それを満たすことで達成されるとする。つまり、その定義にしたがえば、マーケティングとは、「社会の未実現のニーズを見つけだし、それをビジネスの形に整序し、もって安定継続的に未実現のニーズを実現することを目指す活動」ということになる。これこそ、「マーケティングの精神」と言えそうだ。

さて、ドラッカー教授が述べたマーケティング中心の企業の姿というものは、アメリカのビジネス社会の企業経営の中に定着していった。アメリカ企業において、ナイキのように工場をもたないファブレスカンパニーの形をとるメーカーや、P&GやIBMのように、マーケティング担当者(ブランド・マネジャーであったり、営業マネジャーであったりする)が組織のスターになっている企業のことを知る人は多いだろう。いずれの企業も、「マーケティング部門が企業成長の原動力」であることを、組織の内外に向け宣言する。

マーケティングを軸としたビジネスの発展と軌を一にして、企業経営についての研究・教育も戦後大きく発展した。アメリカでは、ビジネス・スクールがその重要な拠点となった。そこでの教育・研究の重要な軸になったのは、ファイナンスとマーケティングであった。多くのMBA学生は、この2つの専攻のいずれかを選ぶ。理由はもちろん、そのキャリアを積むと、社会で受けがよいからだ。つまり、アメリカの企業は、マーケティングとファイナンスの学生を待ち望んだのだ。こうして、マーケティングを軸とするビジネス・スタイルが戦後世界に大きく広がり、いまあるようなマーケティング中心の経済社会が生まれ育っていった。