次に訪れた試練は末期寸前のがん闘病
幸いなことに勤めていた整体院で経験を積むことができ、多くのお客様に恵まれました。数年たったころ、円満に退職して独立しました。
仕事は一貫して上り調子でした。
縁あって東京にもごひいきにしてくださるクライアントが増え、出張施術メインの生活をしていたこともありますが、やがて本拠地を構えたくなって新大阪の駅前に大きなスタジオを構え、インストラクターを何人も育てるようになります。
仕事量に比例するようにお金がついてきたので、かつて住んでいたような高級マンションに住む余裕もでき、週に何日もランチやディナーの約束が入る日が続きました。
こと仕事に関していえば、着実に拡大路線を歩んでいたのです。
クライアントやインストラクター志望の生徒さんたちが喜んでくれればそれでいいという気持ちで、ひたすら仕事にまい進しました。
しかし「好事魔多し」というのは本当ですね。
2012年の秋ごろから、とても疲れやすくなってきたのです。元気だけがとりえで、前日の疲れなどどこへやら、毎朝、「さあ、今日はどんな1日になるだろう!」と、起きて活動を始めるのを楽しみにしていた私が、どういうわけか「いつまでもこうしてベッドに入っていたい」と思う日が続くようになりました。
ちょうど還暦の60(数え年61)歳を越えたということもあり、「年齢のこともあるし、たまった疲れが出る時期なのだろう」と思っていましたが、年が明けても一向に体調が優れません。
さすがに自分でもおかしいと思って病院で検査を受けたところ、「子宮頸がん」を発病していることがわかったのです。
しかも、がんのグレードは「IIIC」。末期の一歩手前で、すでにがん細胞が骨盤内に散らばっており、手術は不可能な状態にまで進行していました。
その後の人生を決める貴重な試練
どこまでも悪運が強いというべきでしょうか。投薬治療のかいあって、私は末期寸前のがんから生還することができました。
大きな試練ではありましたが、この経験は私にとって、その後の人生を決めるとても貴重なものだったと思います。
それまで私は人間関係や食生活、睡眠といった健康の維持に関係することに対して、最大限の努力をしてきたつもりでした。
でも大病をしてみて、その努力が本当は必要のない努力だったり、見当違いだったりということが多々あったことに気づかされたのです。