このストーリーと並行して展開するのが、秀元の本家からの独立騒動である。
大幅な減封となった毛利家は輝元の継嗣秀就が藩主の座につき、秀元は領内に四万石ほどを分地される。天下をうかがう立場から一転、支藩主の地位に甘んじざるを得なくなったのだ。だが、秀元は屈しなかった。
若い秀就を後見しつつ、本家の藩政改革に乗り出し、大藩の面目を失いかけていた毛利を立て直してゆく。“敗れざる者”の人生をひたすら真っ直ぐ歩んでゆくのだ。
3代将軍・家光から「友となすに足る人物」と評される
だが、将軍家光の「御伽衆」となって幕府から重んじられ、幕府要人との交友も重ねる秀元の存在は、やがて本家当主の秀就から疎んじられるようになってゆく。両者の対立が決定的となる中、秀元が下した決断は本家からの独立だった。
将軍家の上洛という大事の最中、秀元は親しい幕府要人を巻き込んでの大博打に打って出る。武人としての誇りをかけた戦いの始まりであった。本書でぜひ味わってほしいメインストーリーである。
私が秀元に興味を持つきっかけとなったのは「関ケ原」だが、江戸幕府の正史である『徳川実記』を読んでいると、しばしば「毛利甲斐守」の名に出くわす。
家光から「友となすに足る人物」とまで評され、晩年には、家光直々の命で品川御殿や江戸城西の丸で大茶会を主催している。家光の時代に完成した「武家式正茶」を牽引する第一人者となっていたのだ。
そこから想像されるのは、天下分け目で今に伝わる不名誉を背負った秀元は、その後の人生で大きく巻き返しを図り、思う存分に生き切ったということではないか。その秀元の胸にはどんな思いがあったのか、何を誇りとし、何を守ろうとして後半生を戦ったのか、それを描きたいと強く思った。
定年となり、さて、この後の人生をどうマネジメントしたらよいか、私がその思いを噛み締めていたことも背景にあったと思う。
敗軍の将の生き様を、自身の境遇と重ねて考える
いまを生きる人々も、思い半ばで挫折した人、満を持しての事業や企画に、期待された結果を出せなかった人、そんな人はたくさんいるだろう。いや、そうした人のほうが多いはずだ。
それでも、仕事にも人生にも続きがあり、人は生きてゆかねばならない。そこで新たな輝きを見せることができるか、『遊びをせんとや 古田織部断簡記』は、そんな立場にある人にぜひ読んでいただきたい。
もうひとつ、秀元が戦いの日々の中、常に心に掛けていたマドンナがいた。その葭原(吉原)の太夫との恋と別れも、ぜひ、味わっていただきたいと思う。