平成で最も売れた女性ソロアーティストは、浜崎あゆみだ。『「90年代J-POPの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社新書)を書いた栗本斉さんは「歌声が素晴らしいだけでなく、作詞能力が抜群だった。孤独や不安を描いた歌詞に若い世代が共感し、彼女を熱烈に支持した」という――。
浜崎あゆみ
写真=Imaginechina/時事通信フォト
2007年4月20日、上海でのコンサートを宣伝するメディアイベントで写真撮影に臨む浜崎あゆみ

日本で最も売れた女性ソロアーティスト

安室奈美恵、坂井泉水(ZARD)、宇多田ヒカル、椎名林檎……。90年代もしくは平成の歌姫というと誰を思い浮かべるだろうか。

他にもたくさんの女性シンガーがこの時期デビューを果たし、スターへの階段を上っていったが、浜崎あゆみもまたこの時代のシンデレラ・ストーリーを体現した歌姫のひとりであることに異論はないだろう。

90年代が終わろうとする頃に彼女は颯爽と登場し、あっという間に時代のアイコンとして認知された。そして、女子中高生を中心とした女性たちからカリスマとして崇められるほどの存在へと急成長し、平成で最も売れた女性ソロアーティスト(オリコン調べ)になったのである。

なぜ、浜崎あゆみはスター街道を駆け上っていくことができたのだろうか。

六本木のディスコで運命の出会い

1978年生まれ、福岡県出身の彼女は幼い頃から地元のCMに出演するなど芸能活動を行っていた。ただ、決してローカルタレントとして人気や知名度があったわけではなく、十把一絡げの地方モデルでしかなかった。中学卒業後は上京し、女優の卵として修業を重ね、ドラマやCMに出演したこともあるが、それほど注目されたわけでも成果を上げたわけでもない。

その後、大手芸能事務所のサンミュージックに所属し、1995年には「AYUMI」名義で歌手デビューも果たしているが、リリースしたシングルやミニアルバムも成功とは言い難いだろう。

通常の売れないタレントであれば、このままフェードアウトしてもおかしくはない。しかし、浜崎あゆみの凄さはここから這い上がっていったことだ。

タレント活動をしていた高校生の時に、よく出入りしていたディスコ「ヴェルファーレ」で、max matsuuraことエイベックスの松浦勝人に出会うのである。サンミュージックと契約が切れたタイミングで、彼は浜崎をエイベックス傘下のプロダクションに誘い、そこからデビューに向けたプロジェクトがスタート。

3カ月間、アメリカでボイストレーニングを受け、本格的にソロ・ヴォーカリストへの道を歩み始めるのである。そして、1998年4月にシングル「poker face」で新生・浜崎あゆみとしてデビューを果たすのだ。