法律や条例という「外圧」が余計に親を追い詰める

ここまでは「心中以外の虐待死」について述べてきました。

こども虐待死には、もうひとつあります。「心中による虐待死」です。先の高橋医師の指摘によると、この場合には親側の「うつ病」がかなり深く関係しているとのことです。再び報告書に戻ると、この親たちの虐待による子の死因は「出血性ショック」「頚部絞扼による窒息」「溺水」が多く、やはり追い詰められたがための道連れで、親としての責任から心中に至っていることが推察できます。

こういった親たちが法律や条例という“外圧”で、余計に子育てが追い詰められてしまうことも忘れてはなりません。これも、私はひしひしと感じます。

ある母親が私に言いました。彼女はうつ病の治療もしていました。

「しっかりやろうとしたら度が過ぎると言われ、こどもを自由にさせていたら放置していると言われる。これ以上、どうしたらいいのかわからない。子育てをするべきではないと社会から言われている気がする」

規範意識が乏しい親には法律や厳罰化では縛りが効かず、一方、規範意識がしっかりしている親には法律や厳罰化によって縛られてしまうという、そこには相いれない矛盾があるようです。

虐待は親側の「気の緩み」や「怠惰」が原因であるという誤解や風潮が、虐待の本質を知らない人たち(政治家など)の中にはあるのかもしれません。これが、引き締め効果の意味も込めて厳罰へと向かわせるのではないのかと私は感じています。もう少し、やさしい社会であってほしいものです。

親によって児童虐待の防止策はさまざま

さて、こども虐待死を防ぐために私たちができることは親側が抱えている問題によって異なります。

「共感性の欠如」と「感情のコントロール不全」がある場合は、同時に養育能力の低さが見られることがあります。養育能力とは、

「こどもの成長発達を促すために必要な関わり(授乳や食事、保清、情緒的な要求への応答、こどもの体調変化の把握、安全面への配慮等)が適切にできない」

ことです(『こども虐待による死亡事例等の検証結果等について』より引用)。この背景には、ごく軽微な知的能力障害が親側に隠れていることも少なくありません。したがって、福祉的ニード(※)が充足されるような環境調整を必要とします。

(※)本人が望む、または必要と判断される、生活安定や改善を図るために導入が欠かせない社会福祉・精神保健の各種サービスや制度のこと