イスラム組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃したことをきっかけに、パレスティナ紛争が激化している。評論家の八幡和郎さんは「望ましい未来は、イスラエルがパレスティナの人々の権利を侵害したことを認めると明確にすることだ。パレスティナ人に有利な形で二国家共存体制を構築することは難しいと言われるが、私は可能だと考える」という――。
2023年10月13日、ニューヨークでイスラエルの国旗を掲げる人たち(左手前)。道路を挟んで向こう側は抗議活動を行うパレスチナ支持の人々
写真=時事通信フォト
2023年10月13日、ニューヨークでイスラエルの国旗を掲げる人たち(左手前)。道路を挟んで向こう側は抗議活動を行うパレスチナ支持の人々

2000年前にバラバラになったユダヤ人

「パレスティナ紛争は、どっちが悪いの?」と聞かれて、明快に答えられる人は少ない。そこをあえて、世界史と外交についての知識を踏まえて、できるだけ単純に解説したい。

ユダヤ人はメソポタミアから「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスティナ付近)に移住した。飢饉ききんのため一時的にエジプトに移った後、モーゼとともに帰還し、3000年ほど前に国を持ち、ペルシャ、プトレマイオス朝、ローマ帝国のもとで保護国のようになった。

イエス・キリストは、ローマ支配が強化されつつあった時代の人だ。ユダヤ人は紀元66年、と131年と二回にわたりローマに対して反乱を起こしたが鎮圧され、支配階級は追放された(135年から始まった離散をディアスポラという)。現地残留者は、ほとんどイスラム教に改宗してアラブ語を話すようになった(イエスの時代の人々は、ヘブライ語でなくアラム語を日常語としていた)。

世界に散ったユダヤ人は、スペインのイスラム王国などで活躍した(セファルディム)。ユダヤ教に改宗した他民族の人々もユダヤ人としての意識を持ち、それが東欧系のユダヤ人の主たる祖先である(アシュケナジム)。

英国はイスラエルにもアラブにも国家設立を約束

その後、ユダヤ人は各地でしばしば弾圧を受け、1894年にフランスで起きたドレフュス事件(ユダヤ人の陸軍大尉がスパイ容疑で逮捕された冤罪えんざい事件)を機に、ユダヤ人独自の国を持とうとする「シオニズム運動」が始まった。

しかし、パレスティナはアラブ系住民の地になっていたため、ユダヤ国家の建設は非現実的だった。英国はウガンダを候補とし、シオニストの中にはこの案を受け入れる人もいたが、過激派はパレスティナにこだわり、独自に移住を始めた。

第1次世界大戦中、英国はパレスティナを含むアラブ地域を支配していた敵国オスマン帝国を揺さぶるため、パレスティナにユダヤ人国家をつくる約束をした(バルフォア宣言)。しかし、英国はこの宣言の前にアラブ人にもシリアやパレスティナを領土とする国家創立を約束し、さらにフランスとロシア帝国とは中東を分割する秘密協定を結ぶという「三枚舌外交」を展開していた。