時代劇で描かれる剣術試合はフィクションだらけ

ところが、漫画やテレビ・映画の時代劇に描かれる剣術道場では、防具をつけず、木刀で打ち合いをしていることが多い。そして、片方が手首や肩、胴を打たれ、

「うっ、参った」

となるが、あとは勝者も敗者も、さわやかである。

だが、木刀で直撃されれば、「うっ、参った」ではすまない。打撲傷や骨折につながるであろう。

まして、試合を見守っていた師範が、

「そこまで」

と、鋭い声で制止するや、片方が勢いよくふりおろした木刀が、相手の額すれすれでぴたりと止まるなどは、とうていありえない光景といってよかろう。まさに、フィクションなのである。

こうした木刀による稽古や試合の光景も、「はじめに」で述べたように拡大再生産されて、現代も描かれ続けているといってよい。

剣道の稽古
写真=iStock.com/Josiah S
※写真はイメージです

武士だけでなく庶民も「スポーツ」を楽しんだ

竹刀と防具の採用で試合形式の稽古――打ち込み稽古ができるようになり、剣術は俄然、面白くなった。

当時、娯楽が少なかった。そんななかにあって、人々は初めてスポーツの面白さに目覚めたのである。画期的な娯楽の登場だった。なにせそれまで、武芸はあってもスポーツはなかったからである。

武士ばかりでなく、庶民までもが大挙して剣術道場に入門するようになり、一種の剣術ブームがおきた。なお、本書では江戸時代の身分制度を大きく武士(士)と庶民(農工商)に分けた。

この流行を受けて江戸を中心に次々と町道場ができた。○○流で稽古を積んでいた者が免許皆伝を受けるや、すぐに独自のくふうを加えて自流を立てた。つまり、○○流の出身者があらたに、○○流××派、△△流、などと唱えて独立し、町道場をひらいたのである。

幕末期には七百以上と、剣術流派が乱立したことを先述したが、これは術を修行した者がすぐに独立して自流を唱えたからだった。実際には従来の流派とほとんど差のない場合が多かったに違いない。