ゆとり世代以下が持つ「問答無用のフェアネス」

他方で、現在の若年男性――具体的に年代をいうなら令和5年現在で39歳以下、つまりゆとり世代以下の男性たち――が内面化しているのはどちらかといえば「女性だからといって話を聞かないなどもってのほかだが、かといって無条件に支持したり応援したり賛同したりするのではなく、まずは男性と同じ俎上そじょうにあげてフェアに批評する」という態度である。問答無用の融通の利かないフェアネスだ。世代が下になればなるほどこの傾向は顕著になる。

どちらかといえば「ヨシヨシ爺さん」よりも若い男性が持つ態度の方が本来的には男女平等なのだが、これは女性に対しても厳しい批判や非難を遠慮なく向けることと表裏一体であるため、いままで「ヨシヨシ爺さん」から享受してきた有形無形の甘やかしこそが「男女平等」だとナイーブに考えてきた女性たちにとっては、若い男性の態度は男女平等どころか「ミソジニー」「女叩き」と思ってしまうこともあるのだろう。

だがこれだけは言っておきたい。世の中に聡明な女性やモノ言う女性が本当に現れたときに、それを正当に評価して肯定したり応援したりできるのは、女性のことを甘やかすことばかりが自己目的化しておりその人が言っていることなど実はなにも真剣に聞いていない「ヨシヨシ爺さん」ではなく、女性だからとゲタを履かせたりしない次世代の若い男性たちであると。

男女が男女平等を象徴するコンクリート製のシーソーに座っている
写真=iStock.com/Eoneren
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「ヨシヨシ爺さん」が日本をダメにした

こうした「見下しまじりの甘やかし」のことを「男女平等な態度」と偽って喧伝してきた「ヨシヨシ爺さん」が日本にもたらしてきた弊害はじつのところきわめて大きい。

彼ら「ヨシヨシ爺さん」こそが日本の女性の自立心を挫き、なおかつ女性を男性と同じ土俵で勝負するような動機を萎れさせ、「女性はかわいそうな被害者なんだから、いつだって男に甘えてもいいんだよ(お前ら若い男どもには、凄惨せいさんな差別を受ける女性の悲痛な申し立てを聞いてあげる道義的責務があるんだぞ)」と、甘い言葉でもって女性の主体性や能動性をスポイルしてきた存在だからである。彼らのおかげで日本の進歩は大きく停滞したといっても過言ではない。

女性は女性で、彼ら「ヨシヨシ爺さん」の慈悲的な見下しが心地よくすらあったので、彼らがつくってきた構造をそのまま受け入れてしまった部分はあっただろう。だが、本当に男女平等の時代の到来を望むのであれば「聡明な女性/モノ言う女性だから叩かれているのだ」などとやさしく語る長老たちとは訣別しなければならない。

彼らは女性をいつまでも「かわいそうな被害者」の箱に閉じ込めて自分の慈悲深さや寛大さをアピールすることに余念がないだけで、そのような態度こそが男性と真に平等な土俵で女性が活躍することを阻んできたのだから。

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