「女性だから叩かれている」中高年男性の“かわいがり”

個人的な所感を率直に言わせてもらえば、女性発言者が自身の言動について批判されているときに「聡明な女性だから、モノ言う女性だから叩かれているのだ」などと的外れなことを言いたがる人は、年齢でどうこういうのは個人的には好みではないのだが、高齢者にあまりにも多い。具体的にいえば60歳代よりも上の年代の人びとが、とくにこういう「聡明な女性/モノ言う女性だから叩かれるのだ論」をぶち上げたがる。単純な世代論で説明したくはないのだが、こればかりは「世代的な慣習」としか言いようがない。世代に特有の習い性のようなものを共有しているように見える。

この年代の、とりわけ文化人や知識人などに位置するインテリ系の男性には、客観的にはどう好意的に解釈してもヒステリックに盾突いているだけに見える人物をさえ、やれ聡明だの利発だの男まさりだのとおだてて「かわいがる」のを是とする風潮があった(あった、というか現在進行形であるのだが)。ようするに、吠えかかる仔犬を「ヨシヨシ、そんなに吠えて可愛い奴よのお」と余裕しゃくしゃくにあやすような、そういうしぐさである。

あくびをしている小型犬
写真=iStock.com/fstop123
※写真はイメージです

この年代の人びとが若かりし頃は、そういう「ヨシヨシ」しぐさをすることが「女性に対しても寛容で、女性だからといって話を聞かないような頑迷な保守的態度からは訣別した、次世代のリベラルでスマートな男性のあるべき姿である」といった評価でもって持て囃されていた。そして彼らはその当時の時代精神を今日もそのまま温存して実践するお年寄りとして世間の各所に君臨している。

日本の伝統的家父長しぐさの反動ではないか

「女の話なんぞ聞かんでいい」という日本の伝統的家父長しぐさの反動として、「物言う女性に耳を傾けてあげる殊勝な(男女平等でフェミニストな)俺たち」というリベラルな態度を取るようになった――というのが実情なのだろう。だが、はっきり言ってしまえば、そういう態度もまた2023年現在においては時代遅れというか、かつて彼らが唾棄した伝統的保守しぐさと大差ない性差別主義的(女性蔑視的)な態度であるとして、とくに若年層の男性からは白眼視されている。

望月氏が今回批判されているのは「聡明」や「モノ言う」とはほど遠い言動であったからこそだ。彼女を批判している人びとは、彼女が女性だから叩いているわけではない。男女など関係なく言っていることとやっていることだけを客観的に見て、フェアに判断しているに過ぎない。

望月氏のことを「聡明な女性/モノ言う女性だから叩かれているのは気の毒だ」などと言ってヨシヨシと慰める言説を取っている人の方が――当の本人は自身のことを「男女平等」と自負しているのかもしれないが――女性の発言や態度を、性別抜きで正当かつ客観的に判断する観点をもっていない女性蔑視的な人物であるとすらいえるだろう。

望月氏を「女だから」などとゲタを履かせたり甘やかしたりせず、男性に対して行うのと同じ厳しさで、その言動だけを見て批判している側の人びとの方がよほどフェアネスを遵守している、本当の意味での男女平等主義者であるとさえいえる。