「そりゃないよ」と思ってしまった
記者会見で質問する記者の人たちや、新聞やニュースを書く仕事の人たちは善悪、白黒、ハッキリさせるのが仕事という部分があるから、「一番悪い奴探し」の行き場がもうなくなってしまって、今日はヒガシ、明日はイノッチ、そして帰りはジュリー景子、みたいに誰かを「実は極悪人だ」と糾弾しなきゃいけない雰囲気になっていた。風向きは毎日コロコロと変わり、10月2日の記者会見の翌週には「東山氏はよくやっている、もう公開処刑はやめてあげて」という一般のコメントも目にするようになった。
とにもかくにもさまざまな意見が飛び交う中、専門家によっては「ジャニーズ事務所に昔からいて長く在籍している人と、近年入所した人の罪の重さは違う」という説を唱えている人もいる。会社のトップが児童福祉法違反の犯罪を犯しているかもしれない、という噂を知りながら、自分はその会社ですでに大ベテランになっていて、若い子たちが被害に遭っているのをどうして防ごうとしなかったんだ、という意見だ。
本当にごもっともだけど、「そ、そりゃないよ(泣)」とも思ってしまった。
私も、強力な魅力と求心力を持つカリスマ的ボスの下にいた経験が何度かある。そういったボスは独裁的になりやすいものだ。ボスの周りはイエスマンだらけになる。自分の矛盾を突いてくる者を容赦なく追い出すからだ。そのあとは、自分に盾突いた者の悪口を徹底的に言ったり、もしくは一切触れずに最初からいなかったみたいに振る舞う。
ボスのもとにいる人間は、ボスのそういったふるまいから「刃向かったら自分も粛清される」ことを学ぶ。そうやって人の心を縛って動けなくさせていく。ボスからの恩恵もあるため、そこで生き残ろうという気持ちが無意識にはたらき、ボスの功績や人柄を本来より大きめに評価する。
特殊な環境じゃなくても、学校とかバイト先とか職場でそういう人の周りにみんなが集まって、妙なコミューンができることってよくあると思う。親子、恋人、夫婦、友人など1対1の関係でだってある。
ボスのもとにいる時は、ボスのやり方を「間違ってる!」と指摘できてたらその人は追い出される。だから、中にいる人が中にいるままボスの誤ったやり方を指摘して、そのボスの独裁によって腐ってしまった土壌を改良するなんていうのは、そもそも不可能なことだ。
いま、ジャニーズの年長者として在籍し新社長に就任した東山氏やその他、ジャニー喜多川のもとで働いていた人たちに「なんでジャニー喜多川の鬼畜の所業を防ごうとしなかったんだ」と問うのは、本当に真っ当な問いである。なんだけれども、同時にトンチみたいな質問でもある、と思ってしまった。
今やらなくてはならないことは何なのか
このジャニーズ性加害問題を機に、今後絶対にこんな児童への虐待、性的虐待、性暴行が起こらない世の中にしていくためには、大人たちみんなで解体していかないといけない。
だとしたら「なぜ言わなかった」「なぜ防がなかった」と関係者の過去を糾弾することは、あまり長くやっていると時間がもったいない。
「子どもの性被害、そこからの性加害の連鎖を断ち切るためには」「権力者による子どもへの虐待を防ぐためには」「支配的ボスによるコミューンが生まれてしまった場合、外部の人はどう立ち回るべきか」。ジャニーズ性加害問題の被害者・当事者ではない私たちは、この問題をきっかけに、そういう話をどんどんしていかないといけないと思う。
だけど今の日本はまだ、サビルが2011年に死んだ後のイギリスみたいにショックと混乱と困惑でいっぱいだから、しばらくは落ち着かないかもしれない。