植物生態学者、理学博士 宮脇 昭
1928年、岡山県川上郡吹屋町(現・高梁市成羽町)生まれ。横浜国立大学名誉教授。(財)IGES国際生態学センター長。(財)横浜市緑の協会特別顧問。60年間にわたり日本各地や海外38カ国の森を足で調べる。国内外1700カ所以上で植樹指導を行い「4000万本の木を植えた男」としても知られる。東日本大震災後は、ガレキを地球資源とする植樹を通じて、防災と被災地の復興を実現する試みを提案。2012年5月に設立された「(財)いのちの森プロジェクト~ガレキを活かす」で副理事長を務める。
木を植えて本物の森をつくる。それが私の仕事です。本物の森とは、日本の集落の要だった「鎮守の森」に象徴されるように、それぞれの土地で何百年も何千年も災害に耐え生き延びてきた、土地本来のさまざまな種類の木からなる森です。40年以上にわたり、日本国内で1400カ所以上、アマゾンやボルネオ島など海外を含めると1700カ所以上で、4000万本以上の植樹を行ってきました。
これからは、大きな自然災害から、私たちにとって最も大事な「いのち」を守る森づくりに取り組んでいきます。そのために、震災で生み出された大量のガレキをゴミとして処分せず、資源として活用することを提唱しています。私の現地調査では、ガレキから毒性のものや分解困難なものを分別して取り除くと、90%以上は有用な地球資源として利用できるとわかりました。そこで東北の海岸線に大きくて深い穴を掘り、ガレキと土を混ぜながら、ほっこらとした高いマウンドを築きます。そこに、その土地に自生していた木の苗を多種多様とり交ぜながら植えて、防波堤をつくります。いのちを守り、地域と共生する「防波堤の森」です。これを南北に300~400キロ延ばすのです。そのために今年の5月、財団法人「いのちの森プロジェクト~ガレキを活かす」を発足しました。
40年以上も麦わら帽子に長靴で森に入っていた“野侍”ですから(笑)、流行のレストランめぐりなどはしませんが、食べることは大好きです。岡山県の内陸の農家の四男坊として戦前に生まれたので、贅沢はしていないけれど、みそ汁、ごはん、つけものといった質素な食事でも、本物を食べて育ちました。そのおかげで、本物を見極める野性の勘は持っていると思います。
動物的な勘がきちんと働いていれば、好きなものを好きなだけ食べてもいいと考えています。人間にはちゃんと許容量がある。私は、ドイツ留学時代に食べすぎたせいか、いまは鶏肉とコーヒーは欲しません。逆に少年時代は、鮮魚などめったに食べられなかったので、いまは海鮮料理が好きなのかもしれません(笑)。
食べ物を残せばゴミになりますが、残さず食べて体を動かして働けば、それは地球資源です。人間はちゃんと食べて好きな仕事に打ち込めば、男性で120歳まで生きられるそうです。私は84歳ですから、あと30年ちょっと。いま生きているということは、まだやるべきことがあるのでしょう。だから私は今日もしっかり食べ、明日もまた木を植えるのです。