全国には、農業用水を確保するために作られた「ため池」が10万カ所もあり、溺れて亡くなる人が後を絶たない。水難学会の理事で、水難学者の斎藤秀俊さんは「ため池は、一度落ちると自力で上がってこられないことが多く、取り組みが進んではいるものの、まだ安全対策が行われていないところが大半だ」という――。

「用水の一滴が血の一滴」

今は昔、農家が田んぼや畑に水をやるため、用水を奪い合って流血覚悟の争いに発展したこともあったと聞きます。画像1はその悲しい過去の伝聞を刻んだ石碑です。

【画像1】新潟県柏崎市藤井堰完工記念碑。右の拡大画像では、「用水の一滴が血の一滴」と読める(ハイライトは筆者。2023年9月撮影)
写真提供=斎藤秀俊さん
【画像1】新潟県柏崎市藤井堰完工記念碑。右の拡大画像では、「用水の一滴が血の一滴」と読める(ハイライトは筆者。2023年9月撮影)

この石碑は、現在この地域の田んぼや畑を潤している、大規模農業用せきの傍らに建立されています。石碑の文字の中に「用水の一滴が血の一滴」の一節を見ることができます。「用水さえ皆に届けば、争いなく皆が生きていける」。それを願いに、地元の農家の総意の下で堰の建設実現に一致団結した様子がうかがえます。

時代は令和となり、皆が安心してごはんや野菜を食べられるようになりました。今でこそ流血覚悟の水争いは表立ってはなくなりましたが、いまだに残っているのが、ため池や用水路などの農業水利施設に落ちて溺れる人の事故。その犠牲者数は、毎年全国でおおよそ100人ほどになります。

その中には中学生以下の子どもたちも少なからず含まれています。水をためれば、そこに人が集まり、そして水難事故が発生するものです。とはいえ血を流さなくて済むようになった代償として、毎年100人の犠牲者数は、数として重すぎないでしょうか。

筆者ら水難学会は「ため池で子どもが溺れた」というニュースが飛び込むたびに、現場に事故調査に赴きます。

そうやって全国を巡ると、自然と全国のため池を目の当たりにすることになります。「ため池って、文化風習の具現だな」いつの間にかそんなふうに考えるようになりました。厳しい自然の中で明日の食糧を確保するために、自然そのものとそこに住む人々の性格とが合致融合し、独特の水文化を形成しているように思います。

例えば平野に生活する人々は「皿池」を作りましたし、山の裾野に生活する人々は「谷池」を作りました。

小学生3人が亡くなった「皿池」

皿池は、瀬戸内海に面した地域に多く見られます。平地に盛り土をすることで皿のような窪地を作り、そこに水を溜めます。ため池数全国1位を誇る兵庫県。その明石市にある多くの皿池のうちのひとつを画像2に示します。

【画像2】兵庫県明石市にある皿池「野々池」(2012年10月撮影)
写真提供=斎藤秀俊さん
【画像2】兵庫県明石市にある皿池「野々池」(2012年10月撮影)

フェンスで囲まれたため池の対岸にはマンションが見えます。ここは、ごく普通の住宅地にあるため池です。目の前のフェンスを越えるとすぐ、草で覆われた岸があって、その向こうにため池の水が迫っています。

ここは、2012年7月に小学生3人が溺れた現場です。フェンスの手前に花が手向けられていますから、ここから3人が池に入ったのでしょう。