親が死んだとき、葬儀の後にやってくるのが遺品整理だ。作家の横森理香さんは「母親の遺品整理をしていて気づいたことがある。着物は売っても二束三文だが、ジュエリーは玉石混交ということだ。フェイクジュエリーだと思っていたものが、実は天然石だったときには驚いた」という――。

※本稿は、横森理香『親を見送る喪のしごと』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。

日本の着物と日本の服を着たアクセサリーです
写真=iStock.com/banabana-san
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紬こそ取っておけばよかった

和ダンス三竿のうち一つは私の嫁入り道具だが、ダサいので若い頃の着物入りで、母が移住するとき秋田に送ってしまっていた。私の手元にあるのは母が作ってくれた喪服と、お茶のお稽古に着るものだけだった。

しかし、管理してくれる母が亡くなった。

「着物の管理は私が任されてるから」

と従姉の千津子姉さんが言っているようだから、二竿は着物入りで山梨に送ってもらった。

その前に、お世話になった現地のおばさま方に、年配の女性にこそ映える紬の着物を見繕って、帯と合わせて差し上げた。が、私は今年還暦を迎えた。

「しまった、とっときゃ良かった」

地団太を踏んだ。紬は高価で、なかなか自分では買える品物ではない。が、当時42歳の私はまだ若かったから、母の地味な紬なんていらないと思っていた。

娘が大きくなったら着るかもしれないと、自分の若い頃の着物ばかり選んで東京に送り、あれから18年保管しているが、娘は興味を示さない。

さらに、母の死後私のところにローンの残金催促が来た最後のお買い物、作家ものの着物と帯、長羽織は、口惜しいのでいただいておいた。しかし、これらも仰々しいのであまり登場するシーンがない。

母が私の結婚式の際誂えた、プラチナ糸刺繍入りの留袖は、仕立て直して義弟の結婚式、娘の七五三、そして「日本大人女子協会」の公式大人女子会でも着た。

仕立て直し代に10万円かかった

しかし、いいものだけに仕立て直し代が10万円もかかった。

そして、いまとなってはサイズを小さくしなくても良かったかもしれないと思う。年とともに貫禄がつき、いまや母の着物も大きくないのだ。母は大柄だったが、私だって身長が低いぶんは、厚みでカバーできる(自慢してどうする?)。

なので、これからの人はぜひ、いまは似合わないかもしれない渋い着物こそ取っておいてほしい。特に紬は、なかなか買えるものではないから。

家紋の入った着物は他人様に譲れないので、私が引き取った。母が自分の四十九日に着てほしいと友達に言っていた家紋入りの色喪服は、私が母の納骨式に着た。草木染の裾に墨が流してある粋な着物で、帯には「偲ぶ」と書いてある。ドラマティックだ。しかし、あれ以来着る機会はない。