予算の代わりに自助努力を求めるのではないか

心配なのは、今回、国立科学博物館のCFがうまくいったことで、政府が施設維持・管理・運営や研究などに自助努力を求めることにならないか、という点だ。

すでに日本の研究政策にそうしたことを感じさせる流れがある。

研究資金の出所とその割合は時代とともに変化してきた。政府からの公的資金、産学連携などによる産業界からの資金、寄付、そしてCF。

CFを生んだ土壌は欧米の寄付文化だ。国立科学博物館のような施設として、英国には大英自然史博物館、米国にはスミソニアン国立自然史博物館などがある。政府の拠出金のほかに、寄付、基金の運用益などによって運用されている。

大学も同様だ。米スタンフォード大、英オックスフォード大などのトップ大学には多額の寄付金が寄せられ、それをもとに、基金を作り、研究活動などを支援している。

そうした土壌の上に、インターネットという新しい道具を駆使し、より多くの人々からお金を集めるようになったのがCFだ。

スタンフォード大学
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クラファンは万能ではない

一方、日本は寄付文化が乏しい。このため、研究費や大学へ回す予算が不足する中、日本政府も欧米を参考に寄付や基金作りを推奨しだした。国立大学や国の研究機関も寄付を積極的に呼びかけるようになった。国立大学や研究予算を配分する文科省自身も、昨年、同省のウェブサイトに「寄附ポータルサイト」を設けるなど、寄付重視が鮮明になっている。

CFは組織のことを知ってもらったり、一般の人にも研究や科学に興味を持ってもらったりする良い機会になる。研究者にとっても、資金集めだけでなく、ネットを通じて多くの人に自分の研究を知ってもらえる利点がある。

一方で不安定さを伴う。

資金を確実に得られるわけではないし、呼びかけた組織や人、テーマや企画によって明暗が分かれる。

これまでの伝統的な資金調達方法と異なるため、研究コミュニティから批判を受けたり、研究テーマをめぐってSNSで炎上したり、目標額に達せずに、「CF失敗者」と言われたりすることもある。