生物学的には殻が退化したのがナメクジ
生物学的な視点に立てば、ナメクジというのは、カタツムリのうち、殻を退化させたもののことである。だから、ナメクジの先祖はカタツムリだ。また、カタツムリのほうがナメクジよりも圧倒的に種数が多い。そうしたことからいえば、例えばナメクジに対して「ハダカカタツムリ」なる呼称を附与するとしたら、その理屈はわかる。
けれど、その逆に、カタツムリに「ツウノアルナメクジ」と命名する理屈はすぐにはわかりにくい。これは、ナメクジがナメクジとカタツムリ共通の「本体」で、ナメクジが殻に入っている状態がカタツムリ(「ツウノアルナメクジ」)と思っていた(つまり、「カタツムリ=ヤドカリ説」による認識)ということを意味しているように思える。もっとも、これは推測にすぎない。言語学上、両者の関係が、なぜそのようにとらえられていたのかということをきちんと解き明かすのは、私には難しい。
カタツムリとナメクジが入れ替わることはない
ともあれ、一生の間に、カタツムリとナメクジが入れ替わることはない。カタツムリからナメクジへの変化は、進化と呼ばれる長い年月の間に起こった現象だ。ナメクジの中には、まだすっかりナメクジ化しておらず、背中に先祖ゆずりの殻の名残を背負っているものもいる。
なお、カタツムリからナメクジへの進化は、さまざまなカタツムリの系統において、独自に起きている。つまり、「ナメクジ」とひとまとめにされる生き物は、生物分類学的にいうと同一のグループに所属しているわけではなく、見かけ上の似た者同士をひとくくりにしたものの総称にすぎない。
参考までに、日本産の主なナメクジ類の分類上の位置づけを紹介すると、図表2のようになる。
潮の引いた干潟や磯に行くと、イソアワモチという、一見ウミウシのような殻をもたない貝の仲間が岩や泥の上を這い回っている姿を見るが、このイソアワモチは、海に棲む収眼類の貝だ(図版1)。
収眼類のナメクジは、陸上で貝殻を退化させた柄眼類のナメクジたちとはまったくグループが異なり、もともと海に棲んでいたときから貝殻を退化させていたグループである。すなわちアシヒダナメクジやイボイボナメクジなどの収眼類のナメクジは、柄眼類とは別個に陸上に進出したものであり、生態的にも興味深い仲間である。