自動思考に気づき思いやりのある言葉をかける
たとえば、私は先日、左の手首を痛め、大好きなピアノを弾くときも手首が痛いので、絶望的になってしまいました。「あー、動かすと手首が痛い。せっかく最近、ジャズピアノを習い始めて、ピアノを練習するモチベーションが上がってきたところだったのに。そんなときに限って、なんでこんなふうに手首が痛いのよ! ピアノの練習ができないじゃない! あー、神様って意地悪だ」という自動思考が生じます。
その自動思考に気づいた私は、「あ、かなり絶望的になっているな。心どころか身体が実際に痛い今こそ、セルフ・コンパッションを実践するチャンスだ。早速やってみよう」と考え(これ自体が一種の思い直しなので、ここですでに認知再構成法のプロセスは始まっています)、自分に向けて、次のような言葉をかけてみることにしました。
「身体が痛いとつらいよね。左手首が痛いなんて、あなたは左利きだから特に、地味にずっとつらいよね。あまり痛みがひかなかったら、整形外科にかかるとして、今は、その痛みをマインドフルに観察し、受け止めてみよう。そして痛くない左手の動きを探してみよう。ピアノに関しては、本当に残念だね。左手の練習は、今は中止するしかないけど、そりゃあ、がっかりしちゃうよね。でも右手の練習は続けられるから、そっちだけでも続けてみたらどうかなあ。絶望しちゃう気持ちはよくわかるけど、大丈夫。今、できることをやってみよう。それにしても痛いの、つらいよね。ひどいことにならずに、早くよくなることを祈っているよ」
こう自分に思いやりのある言葉をかけることで、私の気持ちはやわらぎました。
ちなみに、「結局これって、先に紹介されている対話のワークと全然変わらないじゃん」と思う方がいらっしゃるかもしれません。そしてそれはおっしゃる通りで、対話のワークで導き出される新たな考えも、セルフ・コンパッションによって導き出される新たな考えも、結局は同じようなものになることが多いです。要はどちらでもよいのです。自分にとって苦しい自動思考を、対話のワークによって思い直しをしてもよいし、セルフ・コンパッションで思い直ししてもよく、そのときどきで気が向いたワークをすればよいのだと思います。
コツその3:イメージのなかで納得のいくストーリーを作る
もう1つ、イメージを使った思い直しのワークを紹介しましょう。
先日、私は駅のホームで中年男性に思い切り身体をぶつけられました。女性で、身体の小さい私は、昔から、駅のホームや街中で男性から身体をぶつけられることが、ときどきあります。
同じ体験をした人には、わかってもらえると思いますが、これって一瞬の出来事で、「え⁉ 今私ぶつかられた? これって故意だよね」と思ったときには、時すでに遅し、ぶつかった張本人は、もうどこかに消えてしまっています。つまり抗議や仕返しができない状況です。