「孤独感を持たない人」7つの理由

孤独を楽しむためには、そして、不要な孤独感に悩まないようにするためには、まず、「孤独感は、どこから生まれてくるのか?」ということを知る必要がありますが、先述の1時間、一人で待ち合わせの相手を待っていた私が、「孤独を感じなかった」ことにヒントがあります。

心理学的・生理学的には、次のような理由が考えられるのではないでしょうか?

理由①「すること」がある

たとえば私が喫茶店で人を待っているとき、コーヒーを飲み終えてしまったら、あとは何もすることがないという状態だったなら、「○○さん、早く来ないかなぁ」などと、もの淋しく感じながら、孤独感を覚えたかもしれません。

でも私には、資料を読んだり、原稿を書いたりと、することがいくらでもあったから、孤独を感じませんでした。ずっと一人で働いている職人や芸術家、作家なども集中しているときは、孤独感を抱く暇なんてないのではないでしょうか。

若いアジア女性を祝う成功またはラップトップと幸せポーズ
写真=iStock.com/pondsaksit
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たとえそれが仕事ではなくて、たんなるテレビを観るといった娯楽であっても、することがあれば、孤独感を抱くことはないでしょう。

「すること」があると、孤独感は生まれません。つまり、「退屈が孤独感を作りだす」ということです。

理由② 気持ちをわかってもらえる

一方、一家団欒の場で、お父さんが家族とテレビを観ていたとしましょう。妻と子供たちは、アイドルが歌って踊る歌番組に夢中です。

でも、お父さんはまったくついていけない……。最近のアイドルなんて知らないし興味もないから、テレビを観ているのが退屈を通り越して苦痛でしょうがない。

しまいには、

「俺はこの家族の中で、孤立した存在なんだな……」

なんて感じるわけです。

これも、孤独感の正体の一つです。

お父さんには、家族とテレビを観るという「すること」は、確実にあるわけです。しかも、一般的には楽しい「娯楽」の真っ最中にあります。

ただ、それが楽しくないし、誰もそうした自分の状況を気にかけてくれないから、孤独感が生じている。つまり、「自分の気持ちを誰にもわかってもらえないところにも、孤独感は湧いてくる」のです。

楽しさや悲しみといった気持ちを分かち合えない、あるいは、相手にわかり合おうという気もない場合、まるで遠く離れた別世界に隔絶されたような孤独感が湧いてきます。

逆に、家族の誰かが、「これが一番人気のアイドルだよ!」と教えてくれるとか、「そうだよね、みんな同じ顔に見えるかもね」などと、お父さんの気持ちをわかってくれると、孤独感は生まれません。あるいは、お父さん自身が子供たちを理解するためにアイドルを覚えようと、「すること」を見出せれば、孤独感にさいなまれることはないのです。

大御所の孤独感が増してしまうパターン

理由③ 人から認められている実感を持つ

これは「喜び」を得ることの条件でもありますが、「人から承認されている」状態があれば、人は一人で生活していたとしても、孤独感を持つことは少なくなります。

たとえば私の知人に、すでに年齢は85歳にもなるのに、大学に研究室を構えている大先生がいます。文化勲章を受章した権威あるお方です。

そんな大先生に電話をかけて、「私はアメリカでご一緒させていただいた高田という者ですが――」と名乗ったとたん、秘書から「今いません」とピシャリと言われたりすると、なんとなくその大先生に邪険にされたように感じてしまう。

そして私は、「今の自分なんて、電話で話すような重要な相手とは思ってもらえないんだ」と、勝手に思い込んで、孤独を感じたりするわけです。

ところが翌日、また電話をしたところ、今度はその大先生自らが電話に出て、「あ、高田明和先生ですか!」と、私をフルネームで呼んでくれたうえに「先生」までつけられたりすると、「よくぞこの超チンピラ研究者のことを覚えていてくれた!」と嬉しくなり、ここで一気に私の孤独感はふっ飛んで解消されるわけです。

要は、「自分の存在が人から認められているという実感を持つと、一人でいても孤独感を抱くことはない」のです。

ただし、例外もあります。研究者でも、芸術家でも、タレントでも、人は年を取ると名誉職とか大御所といった扱いをされるようになります。認められていることには違いないのですが、若い人にしてみれば気軽に声をかけにくい存在となります。

それを素直に、「周囲からリスペクトされている証拠だ」ととらえられればいいのですが、「疎外されるようになった」とか、「だんだんと自分も忘れ去られていくんだ」と、悲観的にとらえる思考回路になると、どんどん孤独感は増してしまうでしょう。