別に好きだから歓声を上げるわけではない
私は森総理を担当後、当時、政治家として全盛期を迎えていた亀井静香自民党政調会長の番記者に担当替えとなった。当時の亀井氏は「強面」で鳴らす「自民党有数の権力者」だが、決して「国民的人気」を持つ政治家ではなかった。だが、亀井氏の地方視察に同行したときも、森総理同様、やはり若い女性たちの熱狂的な歓声を受けるのだ。
なぜ「歴代屈指の不人気総理」や「強面の有力政治家」が、行く先々で若い女性の歓声を受けるのか。しばらくは謎のままだったのだが、あるとき私の疑問は氷解した。同行取材の際、ついさっきまで歓声を上げていた女子高生たちの、政治家が去った後の会話を耳にしたからだ。
「テレビで見るのと同じだったね」。彼女たちはそう、嬉しそうに話していた。「この歓声は『テレビで見たことがある有名人』の来訪に対する驚きであって、別に好きだからというわけではない」という「当たり前の事実」に、私は気がついたのだった。
「支持者のような人々」に囲まれやすい職業
番記者として「歴代屈指の不人気総理」や「強面の有力政治家」と話していて、驚いたことがある。「マスコミには不人気かもしれないが、自分を支持する人たちは多い」。そんな自信が言葉の端々に溢れているときがあるのだ。
「内閣支持率」という客観的な証拠があるのだから、不人気であることは疑いようがない。だが東京を離れれば、女性たちの熱烈な歓声を受ける。この倒錯した2つの事実を前に、孤独な政治家は「自分を支持してくれる人は少なくない」という「事実」のほうに「すがりたくなる」のだろうか。
昔話が長くなったが、国会議員とは仮に圧倒的不人気で鳴らしていたとしても、「支持者のような人々」に囲まれやすい職業なのだ。不人気で知られ、普段から最も批判を浴びる総理大臣や自民党の政調会長ですら、「自分はそれなりに人気がある」と信じてしまう。そうであれば、元トップアイドルの国会議員が「相当数の人に支持されている」と勘違いするのは無理からぬことではないか。