偏差値が60→40に落ちてしまった
私は何とか、この状況を変えなければと考えていました。学力うんぬんの前に、彼女がかわいそうだったからです。
彼女はそのような状況でも、親の期待に応えようと一生懸命に勉強をします。しかし精神的に追い詰められていては、結果が出るはずもありません。私はいよいよ「できているところを見て、ほめてあげてほしい。そうでなければ彼女はつぶれてしまう」と訴えましたが、お父さんは「もういい。こちらの言う通りに勉強をさせられない先生はいらない」と突っぱね、塾を替わっていきました。
6年生の後半になろうかというころ、彼女のお母さんから「今からもう一度勉強を見てもらえませんでしょうか」と電話がかかってきました。
聞くと、「60あった偏差値が今では40にまで落ち込んでしまっている。それでも父親の第一志望である難関私立中学に合格させたい。だから今からもう一度見てほしい」と言います。
「否定」は子どもを潰してしまう
助けになって差し上げたかったのですが、「絶対に第一志望に合格するという保証をしてください」と言われてしまいました。物事に「絶対」はありませんから、「それは難しい」とお答えしたところ、「じゃあ結構です」というお返事でした。
私は最後に、「お子さんとの関わり方についてご主人ともう一度、話し合ってみてください。あの子は本当に頑張れる子だし、伸びる力を十分に持った子です。どうかこの言葉を頭に残しておいてください」とお願いをし、受話器を置きました。親御さんの心をほぐして差し上げられなかった、当時の自分の力不足を思うと、また、あの女の子の必死に耐える目を思い出すと、今も心が痛みます。
ここまで極端な例はまれですが、否定はこのように、お子さんの可能性をつぶしてしまうどころか、本来ならばできるはずのことでさえ、できなくさせてしまう圧力を持っているのです。