世界共通で「同じ釜の飯を食う」は有効
発掘調査が終わった日の夕方に何も用事がなくても町のメインストリート(単なる大きな道路)に出掛け、並んだお土産物屋やサンダル屋の店先で知り合いとお茶をする。特に難しい話をするわけではないし、真剣な話をするわけでもない。
しかし、日々のちょっとした話題とそこから始まる他愛もない噂話とか愚痴が実は大切なのだ。信頼・信用を勝ち取る術なのだ。パルミラで隊長から学んだ現地の人たちとのコミュニケーションの重要性とその方法を私はエジプトで実践している。
日本人であれば理解し易い「同じ釜の飯を食う」的な感覚がアラブ世界・イスラム世界には存在するのだ。そのようにして道端でテーブルを出しお茶を飲み過ごしていると、毎日一緒に発掘現場で働いている作業員たちと何人も出会う。
夕方になると心地よい風が吹くので町の人は家族で夕涼みに出て来るのだ。いつもの光景だ(まったく同じような経験を南イタリアのポンペイ遺跡での調査中にしたことがある。夕方になると教会がある町一番の広場にぞろぞろと人が集まって来るのだ)。
昼間の暑さが嘘のようにさわやかな時間帯が訪れるのである。そのような時間には、日本隊の誰々はまたあそこでお茶しているはずだと誰かがやって来る。そこに博物館からの仕事帰りの職員が合流したり、そのまま館長のお宅へと連れて行かれたりする。そこまで行くと宿舎への帰宅は遅くなってしまうが、専門家の話や昔話が聞けて面白い時間を過ごしたものだ。
アラビア語と英語が飛び交う中、耳学問の重要性を再認識することが多々あった。このような機会を私に与えてくれた大学の先輩でもある隊長に感謝。
有力者の誘いを断ってはいけない
海外調査で学んだことがある。それはいつどんなときでも博物館館長クラスからの食事の招待は断ってはいけないということだ(実際には仕事が忙しくて、帰国前などは全員で訪問できないこともあるが)。
円滑な発掘調査の実行に現地の有力者である彼らの協力は欠かせないからだ。それに一隊員でしかない大学院生にとっては、美味いものが食べられる絶好の機会だ。それも地元の料理がずらっと目の前に並ぶのである。普段から食べ歩きを趣味としている私のような者にとっては楽しみでしかない。
イスラムなのでアルコールはない。何度断っても、コップに酒を注がれて無理やり飲まされることもないのだ。急性アルコール中毒で病院に運ばれる隊員が出る心配もない。ただただ食べるのみだ。皿の上に何もなくなれば、すぐに肉が置かれる。若手の隊員にとっては、断らずにとにかく食べることがここでの一番の仕事なのだ。