私たちは常に人生から問いかけられている

そうなるのは、自分の夢や理想を叶えてほしい、そのための環境や運を与えてほしいと“自分を中心に人生に対して期待している”からだといえます。

フランクル心理学は、人は“人生の意味”を問う存在ではなく、“人は人生から問われ、その問いに答える存在である”としています。このように発想を転換すると、私たちは常に人生から問いかけられていることに気づくようになります。

黒い背景に赤いリンゴを差し出す手
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人生から問われるのは、人生を左右するような大きな出来事が起こったときばかりではありません。日常で些細ささいなことに出会ったとき、たとえば、通勤電車で体調が良くない人を見かけたとき、同僚がその場にいない社員の悪口で盛り上がっているとき、人は人生から「あなたはどうしますか?」と問いかけられているのです。

誰もが「自分にしかできない仕事」を持っている

“人生の意味”について、フランクル氏はどう言っているのでしょうか。フランクル氏はチェスを例に説明しています。

人生の意味は、人によって、日によって、時間によってすら異なるからです。ですから重要なのは、一般的な人生の意味ではなく、ある特定の瞬間における、ある個人の人生の具体的な意味なのです。

一般論としてこの質問をすることは、チェスの世界選手権王者に対して「チャンピオン、この世で一番いいチェスの手を教えてくださいますか?」と質問するようなものです。その試合における駒の位置と対戦相手の個性に左右されない、「一番いい手」など存在しませんし、そもそも「いい手」というものだって存在しません。

同じことが人間の実存にも当てはまります。抽象的な人生の意味を問うことは重要ではないのです。人生においては、誰もが自分にしかできない仕事、その人に成就されることを待っている具体的な使命を持っています。それは他の人が代わりに果たすことはできませんし、その人の人生でふたたびくりかえされることもありません。したがってそれぞれの人間にとって、いまここにある意味ある課題は、この課題を実現するために与えられた可能性と同様、かけがえのない唯一のものなのです。(ヴィクトール・フランクル『ロゴセラピーのエッセンス』新教出版社、33〜34頁)