その時その場の「具体的な問い」に答えていく

自ら人生に求めることをやめ、人生からなにを問われているかを考え、それに答えようとするとき、人は新たな“生きる意味”を発見します。人生からの問いは、そのときその場における具体的な問いです。この問いに答えていくことこそが、人生だということができるでしょう。

ポイント
◎“人生の意味”とは、ある特定の瞬間における具体的な意味
◎誰しもが自分にしかできない仕事、具体的な使命を持っている
◎人生からなにを問われているかを考え、答えようとするとき、人は新たな“生きる意味”を発見する

自分自身の人生に責任をもつ

フランクル氏は、生きることに疲れて「人生に意味がない」と言う人へのカウンセリングで、「人生はあなたになにを期待しているか」という問いをするよう促しています。

舟木彩乃『「首尾一貫感覚」で逆境に強い自分をつくる方法』(河出書房新社)
舟木彩乃『「首尾一貫感覚」で逆境に強い自分をつくる方法』(河出書房新社)

あなたを待っている人や、やり残している仕事はないか。そのために今できることはなにか。私たちは、たとえ日常的な出来事であっても、それを人生からの問いかけとして自身に問い、答えることができます。私は、この作業のくり返しによって「意味への意志」を見つけることが可能になるのではないかと考えています。

たとえば、通勤電車であなたの前に、体調の悪そうな人が立っていたら、どのような行動をとりますか? では、職場でハラスメントの現場を目の当たりにしたときは?

これらの出来事は、「あなたは、この出来事に対してどのような態度をとりますか?」という人生からの問いかけです。どのように答えるかは自分次第、問いかけに気づかないふりをして無視することもできます。また、このような問いかけに気づかない場合もあるでしょう。

ただ、人生からの問いかけに対して「誠実に答えない」という選択をくり返してしまうと、自分にとっての大切ななにか(人生観かもしれない)が失われ、意味への欲求不満に陥るように思えます。

それでも人生にイエスと言う』の中でフランクル氏自身は、“「生きるとは、問われていること、答えること、自分自身の人生に責任をもつことである」と言いうるであろう”としています。解説者の山田邦男氏は、そのフランクル氏の言葉について“そして、そのつどこの使命を遂行することがまさに「意味への意志」を充たすことに他ならないのである”と解説しています。