厚労省との意見調整には時間がかかった

――卒論の内容は比較的順調にまとまりましたか。

【尾身】厚生労働省との意見調整に少し時間がかかりました。これまでも、基本的には我々専門家の意見を公表する際には、厚労省など政府側に内容を共有し、なるべく理解を得てから公表していました。今回も同様に厚労省に我々の「卒業論文」の原案を共有しました。

ところが、厚労省は我々とは違う視点からこの論文を見ていました。「今までうまくやってきたじゃないですか。なぜ今それをやる必要があるのですか」と言うんです。政府として、そのように言うのは、ある意味当然ですし、一理あると思いました。

一方、私たち専門家は「国を批判することが目的では決してありません。政府と専門家の役割分担が明確でなかったこと、さらにこれまで社会や経済の専門家が入っておらず、医療関係者だけで政策提案をしてきたこと、この二つは何とか早く解消しなくてはいけない」という強い思いがありました。そのために、この論文を出す必要があると説明しました。

文言の調整でも気を使いました。我々の卒業論文原案の冒頭には「我が国の危機管理体制は十分ではなかった」と書いてあったのですが、厚労省から「ここの部分はなんとかならないのか」と相談がありました。私たちはそもそも政府の対応を批判したいわけではありません。日本社会全体の危機意識が足りなかったことを指摘することが目的だったので、文言にはそれほどこだわらず、「新しい感染症による深刻な打撃に直面してこなかったため感染症に対する危機管理を重要視する文化が醸成されてこなかった」と書き直しました。

厚生労働省
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「歴史の審判に耐えられない」

【尾身】我々専門家は、大切なことで言うべきことは言うという立場をとってきました。もちろん、それが時には政府に歓迎されない時もあるかもしれませんが、既に述べたとおり、言うべきことをしっかり言わなければ「歴史の審判に耐えられない」という意識がずっとありました。今回も卒業論文を記録に残しておくことが、我々の責任じゃないか、と感じたのです。

論文の内容については政府と調整が終わりましたが、政府としてはこの卒業論文を政府の正式な専門家会議の名前で発表することに懸念を抱いていたようです。このため、この卒業論文は「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 構成員一同」と、構成員が個人的な思いからまとめた形にしました。国のお墨付きがないので、厚労省の記者クラブで発表するのが難しく、他のテーマで講演を頼まれていた東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見をすることにしました。開催日は6月24日午後4時からと決まりました。会見には、専門家会議座長の脇田隆字さん、副座長の私、構成員で川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦おかべのぶひこさんの3人が出席しました。