要職につかずに政治を牛耳った「黒幕」
公的な肩書の軽重は必ずしも実際の権力と比例しない。というのも、『ナンバー2の日本史』で見てきたのと変わらない。たとえば、摂関政治の時代において、藤原氏の有力者が天皇の補佐役である摂政や関白になった(摂政や関白という役職に力があった)というよりも、もともとの実力、あるいは天皇との結びつきで得た力(外戚など)があって、役職は後からついてきたのと似た構造である。派閥に所属する議員・党員の支えがあってこその権力であったわけだ。
派閥の領袖(トップ)が総理大臣=総裁になることもあれば、大臣や党三役の要職を務めることも多い。その一方で、そういった党の公的な役職につかないにもかかわらず、派閥の力をバックに総理大臣の人選にまで口を出す政治家もいた。そのような政治家は「黒幕」「キングメーカー」「闇将軍」などと呼ばれた。総理大臣を戦後日本政治のナンバーワンと見なすなら、彼らこそがナンバー2であろう。
そこでここからは、政界の黒幕と呼ばれた人の中から2人を紹介したい。
官僚として出世した「昭和の妖怪」
「昭和の妖怪」の通称で知られる岸信介は、山口県の酒造家佐藤家に生まれ、父の生家である岸家を継いで岸信介を名乗った。弟の佐藤栄作と名字が違うのはこのためだ。
東京帝国大学法学部を卒業後、農商務省に入って官僚としてのキャリアをスタートし、満州国政府実業部(産業部)次長に上り詰めた。この部署は満州国の産業・経済を統括しており、しかも大臣にあたる部長は実権を持たないお飾りの現地人だったため、傀儡国家とはいえ、当時の岸は一国の経済を司っていたことになる。満州国の産業開発は自分の描いた作品だと、本人が語ったという話もまことしやかに伝わるほどだ。
その後、商工省次官に出世して日本へ帰国。3人の大臣に仕えたものの、3人目の大臣(阪急・東宝グループ創業者の小林一三)と衝突して辞任する。しかし、日米開戦直前、東条英機が総理大臣になると、同じ時期に満州にいた縁(当時の東条は関東軍参謀長)もあってか、商工大臣になる。その後、戦況を受けて商工省が軍需省になると、東条が大臣、岸は任所のない大臣兼軍需次官についた。また、翼賛選挙では推薦候補として衆議院議員になった。