幸せな気持ちを享受するにはどんな心持ちでいるといいのか。古今東西の寓話を読み解いたキャリアカウンセラーの戸田智弘さんは「とかく人は自分の幸福度合いを、他人の幸福度合いと比べて判断しがち。自分の幸不幸と、他人の幸不幸を切り離すことが肝要です」という――。

※本稿は、戸田智弘『人生の道しるべになる 座右の寓話』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

ホルスタイン牛
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強欲ごうよくな牛飼い」

九九頭の牛を飼っている金持ちがいた。だが、彼は幸せではなかった。「あと一頭で一〇〇頭になる」ということが頭から離れなかったからだ。彼は九九頭もの牛を飼っていることに満足できず、一〇〇頭でないことに不満を覚えた。

そこで彼はわざとボロの服を着て、一頭の牛で細々と暮らしている友人の家を訪ねた。金持ちはその友人に言った。

「お前はいいなぁ。私には一頭の牛もない。何にも食べるものがなくて困っている。これからどうやって食べていこうかと毎日毎日、心配ばかりしている。お前がうらやましいよ」

友人はびっくりして言う。

「そんなに困っているとは、ちっとも知らなかった。それなら、この牛を差し上げよう。私はこの一頭の牛がいなくても何とかやっていける」

金持ちは心の中でペロリと舌を出しながら、牛を連れて帰った。その日、彼は幸せだった。牛が念願の一〇〇頭になったのだから。

一方の友人も幸せだった。生活に困っている友達をいささかなりとも助けてあげることができたのだから。

善いことの中に喜びを見出す

金持ちの男(以下Aとする)もその友人の男(以下Bとする)も幸せいっぱいで喜びに満ちていた。では、どちらの喜びが本物だろうか。

まずAの喜びの中身は牛が一〇〇頭になったことである。したがって、その喜びは長続きしない。欲望の塊のような男だから、家に牛を連れ帰ったとたん「よし! 次の目標は二〇〇頭だ!」と思う。そして、「いかにして手っ取り早い方法でその目標を果たすか」に頭をはたらかせる。次回もまた今回のような悪事をはたらくに違いない。

対して、Bの喜びの中身は、困っているAの役に立てたことである。もちろん、自分の牛を与えたのだから実益面ではマイナスだ。しかし、心の広い(無欲な)自分、他人の喜びを自分のことのように喜べる自分を誇りに思い、自尊心を高めることになるだろう。

悪いことの中に喜びを見出す人間ではなく、善いことの中に喜びを見出す人間になりたいものだ。