現役時代は相手の年齢を意識せざるを得ないが…

高齢になって楽なのは相手の年齢を気にしなくていいことです。

勤めていたころはそうもいきませんでした。50代とか60代前半までは、どうしても仕事上のつき合いが多くなります。相手が自分より若いか年長かというのは最低限わきまえておく必要があります。話題の選び方にも気を遣うでしょう。

でも現役をリタイアして仕事抜きのつき合いが多くなると、もう上下関係はなくなりますし、そういう形式的なことはどうでもよくなります。

つき合って楽しい人とつき合えばいいのですから、年齢はあまり気になりません。

自分より年上だろうが年下だろうが、同じ話題で盛り上がるし言葉遣いにもそれほど気を遣うこともなくなります。

もちろん礼儀は尽くしますが、それはお互いに心がけることです。つき合って楽しい人はどんなに年上でもこちらを見下すような話し方はしないし、こちらだってどんなに親しくなっても丁寧な言葉遣いだけは忘れないようにするからです。

これでもう十分ではないでしょうか。

年配のカップルが集まってワインを飲む
写真=iStock.com/Chris Ryan
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年齢呪縛につかまっている人が考えること

礼儀さえ忘れなければ、あとはもう遠慮しないでお互いに言いたいことを口にできます。心の自由を妨げるものがないから楽しいのです。

考えてみればこういう人間関係はありそうでなかったことです。

学生時代だって20代30代のころだって、先輩後輩の関係はつねにありました。相手が年上か年下かによって態度や言葉遣い、ときには自分の意見だって変えてきたのです。そういうのはすべて、心の不自由な人間関係でした。

いまはもう、つき合って楽しい相手とだけつき合えばいいのですから、心の枷はなくなります。

ところがここでも年齢呪縛に捕まっている人は相手と自分の年齢を比べてしまいます。

相手がほんの数歳年下とわかっただけで、「そのうち老いを意識するようになる」とか、相手が年上とわかれば「若く見えるけど無理しているな」と同情します。人間関係の中にどうしても年齢を持ち込もうとするのです。