「ハロウィンの花嫁」では渋谷の街が破壊されそうだった

個人的に印象深いのは、『ハロウィンの花嫁』(2022)のクライマックスです。ハロウィンというフレーズからすぐにわかるように、ハロウィンの渋谷が出てきます。渋「谷」と書くように渋谷の地形には傾斜があるのですが、劇中では、犯人たちがその傾斜を利用して街を破壊しようと企てるのです。

どの映画でも、犯人たちに計画された災禍そのものはコナンによって未然に防がれ、救いようのない悲劇にはなりません。大抵の場合、コナン映画では殺人事件以外の死者は出ていません(少なくとも劇中で死者数などが明示されることはありません)。しかし興味深く思われるのは、コナンが悲劇を止めようとするプロセスで、街や大建築を破壊してしまうことが避けられないことです。

特に『ハロウィンの花嫁』はその特徴がよく出ています。コナンたちが悲劇を止めようとするときの、看板の壊れ方とか、電気の止まり方とか、柱のひしゃげ方などがとても精彩に描写されていて、ちょっと『AKIRA』的なかっこよさがありました。

似たことが『業火の向日葵ひまわり』(2015)でも起こります。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画「向日葵」のために作られた美術館が爆発で崩れていくシーンがあるのですが、高校生で空手の関東大会優勝者である毛利蘭は、武器を使わず素手だけでコンクリートの壁を破壊し、ゴッホの絵画を守るというシーンがあります。

画像=『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』(C)2023青山剛昌/名探偵コナン製作委員会
画像=『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』(C)2023青山剛昌/名探偵コナン製作委員会

コナンたちが悲劇を防ぐプロセスで何かが破壊される

映画がスペクタクルを目指す以上、そこには破壊への想像力が働いています。コナンたちはそれを止めたり、何かを守ったりするために全力を尽くすのですが、そのプロセスで何かがしばしば破壊されます。

しかも、コナンたちが防ぎ守るときの破壊は、とても細かな描写と丁寧な演出で描かれがちです。私が大友克洋『AKIRA』を連想したように、かなりかっこいい描かれ方です。

〈街や大建築を破壊する想像力〉は、コナン映画において多様な趣向が凝らされていて、一つの見どころであると言えます。それと同時に、悲劇を未然に防ぐプロセスで避けられない破壊が、映像的に強い印象を視聴者に残すほど丁寧に描かれているのもコナン映画の外せない魅力です。