かつては娯楽の中心だった

【小林】僕は昭和31(1956)年の生まれで、新潟県の長岡で育ちました。母が高校の教師をしていたので、幼稚園のころから母の勤める高校の試合をよく見に行きました。それで高校野球に魅了されて、中学で軟式野球をやったあと高校の野球部に入りました。

当時も夏の暑さは酷かった。練習中にサボって田んぼの小屋の陰に隠れて休んだりしていました(笑)。でも野球が好きだし、甲子園を頂点とする高校野球そのものを否定する考えには、なかなか至らなかった。でも、いろいろな経験を通して、高校野球って高校生のものなのに、見る側の大人の楽しみが優先されている現実に、ハタと気づいたのです。

【玉木】私は昭和27(1952)年の生まれで、京都の町の小さな電器屋で育ち、夏休みになるとNHKから大きな紙のスコアボードが届きました。それを小さなテレビが2台ほど置かれた、道路に面したウインドウの外側のガラスに貼り付け、甲子園大会の試合中イニングが変わるごとに得点を書き入れる。それが小学校時代の私の仕事。

だから高校野球もプロ野球と同じように見て楽しんでました。でも高校生になってバドミントン部でインターハイを目指すようになると、同じ高校生なのに、なぜ野球部だけが新聞に大きく取りあげられるんだと、嫉妬混じりの違和感を覚えるようになりました。

作家の虫明亜呂無むしあけ あろむ氏の記述によると、明治時代から昭和の終戦直後まで、関西には地方から丁稚奉公や集団就職で多くの地方出身の労働者がいて、高校野球は出身地に帰郷できない彼らに、生まれ故郷の地方の香りを届ける役割を果たしていたと言えるらしいです(虫明亜呂無「咲くやこの花 高校野球について」玉木正之編『時さえ忘れて』ちくま文庫)。

高校野球はまったく教育的ではない

【小林】昔の娯楽の少ない時代に、甲子園大会が大人気を集める国民的娯楽に発展したのは想像できます。でも、今も高校生の野球大会が、娯楽の中心的役割を果たす時代でしょうか。

昔から高校野球は教育の一環だと言われ続けてきましたが、実は全然教育的じゃない。2022年の夏の大会には参加校が3782。合同チームがあるのでチーム数は3547。一回戦を終えるとそれが半分になる。半数の高校が1試合しかできない。排除の思想ですよね。どこが教育的なのでしょうか?

【玉木】高校野球に「教育」を持ち込んだのは1911(明治44)年に東京朝日新聞が「野球と其の害毒」というキャンペーンを1カ月以上に渡って続けた結果です。

新渡戸稲造や乃木希典などの高名な執筆陣が、野球は巾着切り(スリ)のようにベースを盗もうとする程度の低いゲームだとか、広い場所で少人数しか運動できない、ボールを手で受ける振動で脳が悪くなる……などと野球をさまざまに非難した。

ところが反論する新聞社も現れて大論争になり、結果的に野球人気が急上昇。そこで大阪朝日新聞が4年後の1915(大正4)年に、手のひらを返して全国中等学校野球選手権大会(現在の夏の甲子園大会)の開催を決めたのです。

その際、今度は社説で、野球がいかに優れて教育的かということを力説しました。そのうえ試合開始のときに両チームがホームプレートを挟んで礼をすることを決めたり、優勝校の賞品にコンサイスの英和辞典を贈るなど、「教育的な野球」を強調したのです。