台湾籍取得のため中国籍を放棄しようとしていた

台湾の戸籍は居留証の取得後5年間以上居住したのち申請できるが、原則として元の国籍を放棄しなくてはいけない“顕著な功績を治めた高度な人材”は特例として二重国籍が認められるケースもあるが、一般人には当てはまらない。

中国国籍の者が台湾の戸籍を取得した場合、通常は3カ月以内に中国の戸籍を抹消し、除籍証明を台湾政府に提出しなくてはならない。ただ、コロナ禍により中国―台湾間の渡航が制限されていたため、猶予期間が設けられていた。コロナ禍の間に台湾では2000件以上、中国からの帰化申請があり、除籍を猶予されていた。富察氏も、同じく猶予されていたという。

長年台湾で出版事業に携わっていて、なぜ今年になって拘束されたのか。

富察氏は2020年6月にも中国に渡航したが無事に台湾に戻って来られたため、今回も問題ないと判断したと見られている。だが、この3年の間にロシアによるウクライナ戦争が勃発し、世界情勢は一変した。「台湾有事」への危機感から、中台間の緊張は確実に高まった。台湾が米中対立の最前線と位置付けられるなかで、富察氏の言論活動にも締め付けが強まったものと考えられる。

今回の拘束は、富察氏の発行するような著作物や言論を、中国共産党は決して認めないというメッセージでもある。

ウイグル、天安門、台湾…中国政府が嫌がる敏感なテーマを扱う

八旗文化は日本語書籍の訳書も多数手がけており、ホームページを見ると、同社の出版物のおよそ1割が日本語の訳書を占める。たとえば、以下のようなものだ。

『新疆ウイグル自治区 中国共産党支配の70年』(熊倉潤、中公新書)
『大東亜戦争肯定論』(林房雄、中公文庫)
『中国人民解放軍2050年の野望 米軍打倒を目指す200万人の「私兵」』(矢板明夫、ワニブックスPLUS新書)
『漢とは何か、中華とは何か』(後藤多聞、人文書館)
『男装の麗人・川島房子伝』(上坂冬子、文春文庫)
『興亡の世界史 大日本・満州帝国の遺産』(姜尚中/玄武岩、講談社学術文庫)
『中国「反日」の源流』(岡本隆司、ちくま学芸文庫)

洋書からの翻訳や、中国語の繁体字での書き下ろし書籍も扱っている。タイトルは私訳だが、例えば以下のようなものがある。

『中国を売り渡す:中国共産党の官界における腐敗分析』
『中国の最底辺:共産党、土地、農民工、中国に来たるべき経済危機』
『天安門へ引き返す:失億の人民共和国と歴史の真相』
『不自由な国の自由な人:劉暁波の生命と思想世界』
『台湾は誰のものか?』
『あなたは漢民族ではない 民族100年の呪いを解く』

学術書が大半を占めているが、刊行物のなかに中国政府が嫌がる内容が含まれているのは確かだ。上記のなかではウイグル、天安門、劉暁波、台湾などのテーマは特に敏感で、中国政府が嫌悪した可能性が高い。劉暁波はノーベル平和賞を受賞した中国の民主活動家で、2017年に事実上の「獄死」をした人物である。大東亜戦争肯定論、人民解放軍、中国の官界腐敗の本も決して喜ばれないだろう。