飼料の高騰前から「原価割れ」は珍しくなかった
養鶏業者は一般的に「GPセンター」という卵の選別包装施設に出荷する。そこから、全農あるいは民間の問屋を介して、小売店や加工業者などに届けられる。販売額は相場で決まる。原価の約5割を占める飼料は、ウクライナ侵攻を受けて価格が急騰する以前から上昇傾向にあり、原価割れが珍しくなくなっていた。
原価割れが起こりやすい原因の最たるは、卵の価格が実質的に値下がりしてきたことだ。1955年にキロ当たり205円だった卸売価格は、2021年度は213円だった。物価の変動を勘案すると、これはかつての半額ほどに過ぎない。
ここまでのコストダウンを可能にしたのが、中小の淘汰と大手への集積だった。羽数を増やして生産原価を下げるというチキンレースが繰り広げられてきたわけだ。
熊野さんは「羽数の多いところが勝つに決まっている」と、このレースから降りることを決めた。純国産鶏「もみじ」に自家製の発酵飼料を与えて生ませた「美豊卵」を商標登録し、4カ所の直売所と飲食もできる「たまご専門店熊福」、通販などで販売する。
おいしさが口コミで広まり、生産原価に応じて卵を値上げしても顧客が離れることはない。「今は近隣のスーパーに並ぶ卵が1パック300円を超えているので、うちの方が安くなるという価格の逆転現象が起きている」といい、新規の顧客も増えている。
「拡大」前提のビジネスモデルが成り立たなくなった
養鶏の歴史を振り返ると、高度成長以前は庭先養鶏といった小規模な経営がひしめいていた。1960年代にケージを使い多くの羽数を飼う多羽数飼育が可能になったことで、業界は様変わりする。既存の養鶏業者が規模拡大したり、企業的な大規模養鶏場が現れたりして、卵は供給過剰に陥った。
コストで太刀打ちできない中小は廃業に追い込まれていく。雌鶏(成鶏めす)10万羽以上を飼う養鶏業者は戸数でいうと全体の20.5%に過ぎないが、いまや全羽数の79.4%を占めるまでになった。多くの養鶏場は工場と見まごうほど巨大化し、かつ消費地への供給に便利な地域に集積されている。
熊野さんは業界が目指してきた拡大を前提とするビジネスモデルが、もはや成り立たなくなっていると感じている。
「多くの業者は、事業を広げ続けることでなんとか経営が持っているという自転車操業じゃないか。養鶏業界は、再生産ができない、もうからない構造になってしまった」
現に拡張路線の旗振り役だったといえる最大手のイセ食品(東京都千代田区)は2022年、経営不振で会社更生の手続きに入った。卵が品薄になっているのも、そもそも飼料の高騰に耐えられなくなった養鶏業者が羽数を減らしていたところに、鳥インフルエンザが急拡大したからだ。