その菅が鳩山内閣のときには大人しくしています。財務大臣になったはいいけれども、経済に関する知識がまるでなかったからです。既に述べた経緯で、菅は財務省に頼り切りになったと言われます。

菅は、メディアで消費税増税を言い始めます。7月の参院選直前の増税発言も、財務省の代弁です。民主党は40%台に支持率が急落する中で選挙に臨み、10議席を減らす結果となりました。自民党のねじれ国会は衆議院で3分の2の議席を持っていましたので、参議院が法案を否決しても衆議院で再可決できます。しかし、民主党は「完全ねじれ」です。

曇天の国会議事堂
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参院選で議席を減らし、国会は空転…

参院選の結果にかかわらず、菅は政権に居座ります。平成22(2010)年9月17日、改造内閣が発足しました。党幹事長は枝野幸男から岡田克也に交代します。閣僚人事では小沢グループを干し上げました。

自民党は徹底的に政権の邪魔をします。自民党政権時代に出した法案であっても、民主党が出せば抵抗しました。政権を取り返すためなら手段を選びません。

内閣改造前後では、9月7日に沖縄の尖閣諸島付近で中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件が起こり、この対応をめぐり国会は空転します。

中国側の言い分を諾々と呑む内閣に批判が高まり、政府が秘匿した海上保安庁の記録映像が職員によってインターネットに流出する事件もありました。11月には参議院で官房長官の仙谷由人と国土交通大臣の馬淵澄夫に対する問責決議が可決され、一切の審議が進みません。

スキャンダルの追及で「西田無双」

菅は年明けの平成23年1月14日、再度の内閣改造を行い、乗り切ろうとしました。官房長官には枝野を就け、小幅の人事で1月24日からの通常国会に臨みます。

こうした中、自民党総裁の谷垣禎一との初の党首討論が2月9日に行われました。谷垣は実に礼儀正しく、いかに政策議論をするかに心を砕いているようでしたが、大真面目に社会保障と税制改革について話しています。

一体、谷垣は民主党政権を倒す気があったのでしょうか。鳩山内閣の迷走に続き、菅首相の増税発言や菅内閣のグダグダぶりに、地方選挙では自民党が連戦連勝です。それでも次の野田佳彦内閣に至るまで、谷垣自民党は3年3カ月もの間、民主党政権を倒せませんでした。

自民党の中で唯一、スキャンダルを通じて政権に有効な攻撃を加え、大臣の首級を上げていたのが西田昌司です。インターネットでは「西田無双」とか「銀狼」などと持て囃されました。