国学者・本居宣長とはどんな人物なのか。大東文化大学の山口謡司教授は「古典の研究者としてすばらしい業績を残している。『古事記』や『源氏物語』に出てくる係り結びは、江戸時代には読解できなくなっていたが、宣長がその法則を発見したことで、現代人も日本語の古典を読めるようになった」という――。

※本稿は、山口謡司『面白くて眠れなくなる日本語学』(PHP)の一部を再編集したものです。

「係り結び」を発見した

①失われた係り結びの「発見」

本居宣長の全集を読みふけったことがあります。

本居宣長六十一歳自画自賛像(写真=本居宣長記念館/PD-Japan/Wikimedia Commons)
本居宣長六十一歳自画自賛像(写真=本居宣長記念館/PD-Japan/Wikimedia Commons

この人は、毎日、勉強していて楽しかったのだろうなぁと思いました。勘は鋭いし、具体的なことから抽象的なことを読み取る力も優れているし、一緒に話したら楽しいだろうなぁと思って、頁を捲ったのでした。

さて、宣長のすごい業績は、三つあります。

ひとつは、古典研究についてです。なんと言っていいのか分からない、ことばにしてしまうと失われてしまうかもしれない、日本的な情緒を「もののあはれ」ということばで表すことができたからです。

二つめは、日本語の文法についての研究、三つめは漢字音研究です。

さて、本居宣長の日本語の文法の研究の中心は、「係り結び」と「活用」です。「係り結び」は高校の古典で習いましたね。「ぞ、なむ、や、か」という「係り助詞」があると文末の活用形が連体形になる。「こそ」があると已然形になる。

これを発見したのは、本居宣長です。

古代日本人思考を知るカギだった

我々がいわゆる「古典」で習う『伊勢物語』『源氏物語』など平安時代までは「係り結び」があるのですが、南北朝から室町時代には、ほとんど見えなくなってしまいます。室町時代とは謡曲や狂言などの芸能が勃興する頃です。

なぜ、係り結びがなくなったかということについては、いろいろな説がありますが、私としては古代の論理構造が崩壊してしまったからだと考えています。「近世」という新しい時代を迎えるために、日本語はそれなりの論理を成せる文法が次第に組み立てられることになったのです。

宣長は、すごい人です。『古事記』まで遡って、古代日本人の思考方法がどのようなものだったのかを探究していくのですが、その時、文法の「係り結びの法則」が古代人的思考のカギであることに気がつくのです。

たとえば、『伊勢物語』(「筒井筒」)にこんな文章があります。

昔田舎渡らひしける人の子ども、井のもとに出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥ぢ交はしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。

女はこの男をと思ひつつ親の会はすれども聞かでなむありける。

こそ→得め
なむ→ける