「型破り人材」「優等生タイプ」「世渡り上手」……時代とともに昇進する人の条件は大きく変化した。過去30年検証で見えてきた、今後、勝ち残る人材とは。
人事コンサルタント
深田和範

1962年生まれ。一橋大学社会学部卒。シンクタンク研究員、東証一部上場企業の人事部長などを経て、現在、人事コンサルタントとして活動中。2009年に、ホワイトカラーのリストラ時代の到来を予測した『「文系・大卒・30歳以上」がクビになる』(新潮新書)を出版した。

誰もがハッピーな時代は、90年代初頭のバブル崩壊で終わりを告げた。企業は人件費を抑制する必要に迫られて、リストラに着手することになった。

対象になったのは、管理部門のホワイトカラーたちだ。バブル期、ホワイトカラーは自分たちの必要性をアピールするために、管理業務を複雑化・高度化させるなどして次々に仕事を増やしていった。その時期、経営企画部が経営戦略策定をしたり、財務部が財テクに走る、人事部が新しい人事施策を打ち出したという会社も多かったはずだ。

しかし、管理業務を増やしても業績には直結しない。むしろ複雑化・高度化したためにコストや手間が増え、自らリストラを招いてしまった印象だ。

とくに狙われたのは人件費の高い高年齢層ホワイトカラーだ。ただ、この時期のリストラはまだ穏当だった。

バブル崩壊前である90年のホワイトカラー人口は2086万人であったのに対し、00年は2347万人まで増えている。業績の悪い企業からホワイトカラーはリストラされたのにどうしてこのような現象が起きたのか。

この時期のリストラは、「関連会社への出向・転籍」「独立させて会社から発注」「他社へ転職・失業」という3つのパターンに分けられる。関連会社への出向・転籍は、社内の配置転換と実質的に変わらない。リストラした社員に人材派遣会社やシステム会社、事務サポート会社などを起業させ、アウトソーサーとして仕事を回すケースも目立ったが、これも間接的に給料を払っているようなものだ。結局、社内から人は減っても、その周辺で面倒を見ていたわけだ。

もちろんこうしたサポートを受けられないリストラ対象者もいた。そうした人は新たに職を探さざるをえなかったが、成長しつつあったIT産業が受け皿になってくれることもしばしばだった。また、当時の公的年金受給年齢は60歳。リストラされたのは50代が中心だったので、退職金などで数年食いつなげばほどなく年金生活までたどりつけた。終身雇用が崩壊したという意味でリストラが社会に与えたインパクトは大きかったかもしれないが、実態は穏やかだったのだ。