留学生が日本から持ち帰った言葉
外来語を漢字で音訳しようとすると、どの文字を採用するか考えなければならないから、日本語のカタカナのようにそのまま音訳するよりも手間がかかる。
だが、日本語の漢字語彙は例外だ。日清戦争終結後の1896年から、たくさん中国人留学生が日本にやってくることになった。西洋に留学するよりも、地理的に近く、生活費も安いし、言語の学習も漢字を使っているので比較的容易であると考えられたのである。
その結果、中国は日本製の漢語をそのまま輸入することになった。すでに漢語になっているのだから、あとは現代中国語で発音するだけでよいので、とても簡単なのである。ちなみに、戊戌の政変で日本に亡命してきた清末の思想家、梁啓超は『和文漢読法』なる本を著している。
「和文漢読」だから、「漢文訓読」の反対だ。「日本文を学ぶのは数日で小成し、数月で大成する」と書き、日本語を媒介に西洋の学を学ぶとよいと言っている。この『和文漢読法』はかなり売れたらしい。
学びやすいというのはあくまで文章語としての日本語であるが、当時の日本語、特に議論文などは漢文訓読体に近い文体が主流だった。もとが漢文訓読体なのだから、語順を変えればそのまま中国語の文語になりやすい。
「日本語は簡単!」と思われたのも理由がないことではない(この時代の文体については、齋藤希史『漢文脈と近代日本』〔角川ソフィア文庫、2014年〕などがわかりやすい)。というように、日本語から大量に流入したことは事実であるが、現在では翻訳語の形成と伝播の過程はそれほど単純な話ではないことが明らかにされている。
「熱帯」という言葉はどこで生まれたか
荒川清秀『近代日中学術用語の形成と伝播』(白帝社、1997年)では、まず「熱帯」という語に着目した。この語は日本で作られた和製漢語で、それが中国にも輸入されたものだと考えられていた。
だが、日本人なら気温が高いことを表すのに、「暑」の字を用いるはずではないか。一方、中国語ではそれを表すのに「熱」の字を使う。とすると、これは中国で作られた語なのではないか。調査の結果、この語はやはり日本人による翻訳語ではなく、中国製の漢語であったことが明らかにされた。
では、なぜ日本で作られたと思われたのだろうか。実はこの語は、16世紀から17世紀に中国にやってきた宣教師と関連する語であった。宣教師といえば、日本ではフランシスコ・ザビエルがすぐに浮かぶが、中国で最初に名前が挙がるのがイタリア出身のマテオ・リッチ(1552~1610年)である。
マテオ・リッチは、ヨーロッパの知識を漢文で刊行したことで知られている。その中に『坤輿万国全図』(1602年)という世界地図があり、その漢文の注記に、「熱帯」の語が見出せるのだという(ただし、この段階ではまだ熟語になってはいない)。
このリッチによる世界地図の影響もあって、その後の中国では「熱帯」という語が熟語として成立し、それが日本にも渡来した。ところが、中国でこの語は次第に忘れ去られてしまい、19世紀末から20世紀に日本にやってきた中国人留学生が日本製の漢語だと勘違いして持ち帰ったのだという。