宣教師による影響
「紅茶」も同様に中国に来た外国人が翻訳した言葉で、それが日本に伝来し、再度中国に逆輸入されたものに分類されている。以前、スリランカを旅行したとき、お茶の生産量ランキングを調べたところ、上位は中国を除くとインド、スリランカ、ケニアであった。全部イギリスの植民地である。
大英帝国のティータイムにかける情熱、おそるべしと思った。ちなみに紅茶の消費量で調べると、中東など、イスラムの国がランキング上位に来る。代々木上原にあるトルコ人のモスクを訪れたときも、「紅茶はトルコ人のガソリンです」と言っていたが、始終飲んでいるようだった。お酒が飲めない分、紅茶を飲むのだろう。
西洋言語の翻訳というと、日本では明治維新後に作られたイメージが強いが、江戸時代にも蘭学があり、翻訳語は使用されていた。その中には日本人が作り出したものもあるし、中国にやってきた宣教師が作り出したものもあった。
例えば、「病院」という単語も、中国に来た宣教師が作ったものだが、中国には定着せず(中国では「医院」という)、日本で定着したものである。
翻訳語は日本と中国の間で複雑な相互関係があることがわかる。
蘭学者が生み出した漢字
アメリカにしてもフランスにしても、ひらがな・カタカナという便利な表記システムがあるのだから、固有名詞くらいわざわざ漢字をつかわなくてもいいような気がするが、明治時代くらいの感覚ではできるだけ漢字にするほうが普通だったようである。
「倶楽部」なども、日本人の生み出した表記法だという。画数が多くて面倒だが……。
韓国語などを勉強していると、外来語がカタカナで書いてあるありがたさを実感できる。ハングルでは一見すると外来語なのか本来の韓国語なのか判断がつかないのである。韓国人には自明かもしれないが、学習者にとっては自明ではない。
さて、そのほかに日本で作られた翻訳語をもう少し紹介しよう。リストを眺めていると、「大脳、膣、腺、盲腸、解剖」など、解剖関係の言葉が並んでいるのに気がつく。これらは、明治時代ではなく江戸時代の蘭学者が作り出したものだという。
中国医学では伝統的に人体をきずつける解剖を好まなかった。そのせいで漢語による用語がなかったのである。魯迅の『藤野先生』でも、魯迅が藤野先生に「中国人は霊魂を尊ぶと聞いていたので、君が死体の解剖を嫌がるのではないかと、心配していたのです」と言われるシーンがある。
蘭学の翻訳では『解体新書』が有名だが、『解体新書』は厳密にいうと日本語(和文)に翻訳したものではない。『ターヘルアナトミア』を漢文に翻訳したものである。
日本人が作った翻訳漢語の代表選手、「経済」は、もともとあった「経世済民」という言葉に由来すると言われている。本来的には「世の中を経め、民を済う」の意味である。これをeconomyの翻訳語に転用したのである。