安土桃山時代は空前の高度経済成長期
その結果、日本は空前の高度経済成長期を迎えることになった。それを象徴するのが安土城を初めとする城の建築ラッシュであり、絢爛豪華な安土桃山文化である。
室町時代は農本主義、分権主義が主流であり、戦国時代は重商主義、中央集権主義が主流となった。その路線を突き進んだのが信長であり、受け継いで完成させたのが秀吉だった。
ところが重商主義は海外に市場を求め、中央集権主義は国内の矛盾をそらすために植民地を獲得しようという欲求に駆られがちである。秀吉も同じで、朝鮮半島ばかりか明国まで支配しようとしたが、文禄・慶長の役は失敗に終わり、日本は国家再建に向けて動き出さざるを得なくなった。
これは明治政府が海外侵攻政策を取り、昭和20年の敗戦を迎えたのと同じ構図であり、秀吉の後を担った徳川家康や石田三成たちは、日本をどう再建するかという重い課題に直面することになった。
関ヶ原の戦いは国家再建の正念場だった
三成ら豊臣家の官僚は、豊臣政権の重商主義、中央集権政策を修正した上で継続しようとし、これには南蛮貿易の利益にあずかることができる西国大名の多くが参同した。
ところが東国大名は貿易に参入できる機会は少なく、伝統的に鎌倉・室町幕府の農本主義、地方分権を支持する土壌があった。しかも家康はこうした手法で関東八カ国の再建をはたしている。そこでこの政策を全国に展開する政策を打ち出し、東国大名の支持を集めた。
つまり関ヶ原の戦いは国家再建の政策をめぐる戦いであり、これに勝った家康が幕藩体制という地方分権、農本主義政策によって、国家の再建に取り組むことになったのである。
2020年9月に放送されたNHK BSプレミアム「大戦国史『激動の日本と世界』」は、海外の研究者の論考をまじえてこうした史観を見事に描いているので、興味のある方はぜひともアーカイブでご覧いただきたい。
こうした史観を土台にして考えれば、大坂の陣が豊臣家を滅ぼすために徳川家が仕掛けた陰険な謀略だという見方は成り立たないことがお分りになるのではないだろうか。