母親がお経を唱えながら号泣する姿にドン引き
小学生のわたしはといえば、正座をしながら、ただ時間が過ぎるのをじっと待って耐えた。隣で自分の母親がお経を唱えながら号泣している姿は、シンプルに怖い。子ども心にドン引きだ。それに、本当は経など読まず、イタコ婆さんが飼っている大きなシェパードと遊びたい。というか、そもそもこんなところに来ず、家で本を読んでいたい。
だが、素直に同伴し、隣に座って経を読むほうが、母の機嫌が明らかにいい。わたしは、母の機嫌のためだけに、「新宗教」に従うふりをし続けた。母のために覚えたその経は、今でも空で暗唱することができる。
1時間ほどして、読経の時間が終わる。信者たちがご祝儀袋に入った3万円をイタコ婆さんに手渡して、会はお開きとなる。イタコ婆さんには、一度の会で30~60万円の集金があるわけだ。それが毎週のように行われている。
わたしの週末はこのように退屈な宗教儀式によって奪われ続けた。友人と鬼ごっこで遊んだり、ゲームに興じたり、お出かけする時間なんてなかった。気がつくと、友人を作ることすらできなくなっていた。
「火渡り」や「滝業」という過酷な修業
加えて、年に何度か、大規模な修行イベントにも参加しなければならなかった。それらもまた、過酷で苦痛だった。
なかでも最悪だったのが、「火渡り」と言われる行事だ。文字通り、焚き火の上を裸足で歩く、という儀式である。
日本全国には、火を取り扱う伝統的な祭りがいろいろとある。それらは大抵、18歳以上のおとな(主に男性)が、自由意志の下、参加するようにできている。しかし「新宗教」は、そしてこの行事に参加している我が親は、そんな良心は持ち合わせていない。
わたしは赤ん坊の頃から、母に背負われて火を渡るという「予行演習」を経て、6歳からは一人で「火渡り」をするようになった。一応は「子どもだから」ということで、順番は最後の方に、つまり焚き火がやや落ち着いた頃に渡ることを許されてはいた。それでもやはり、少女だったわたしの目の前に広がるのは、黒く、赤い、熱々の炭の道である。
母や他の信者は、わたしに「目をつぶったり走ったりしては、かえって危ない。安全のためにも、まっすぐ前を見て、ゆっくり渡りなさい」という助言を授ける。そもそも渡らないのが最も安全だし、せめて靴を履かせてくれればよいのだが……。