自分たちだけの、至れり尽くせりの取材場所

日本の国会、役所、警察などは「記者クラブ」というものがあって基本的に、テレビや新聞など限られたメディアの記者しか所属できない「記者クラブ」の取材しか受け付けない。「文春砲」で知られるような文春記者や、ネットメディア、フリーのジャーナリストは、どれほどその分野で取材経験があろうとも入れてもらえない。

その「記者クラブ」には官僚側があらゆる情報を投げ込んでくれるし、会見も呼んでくれるので、記者は言われるままにそれらを取材して記事を書けばいい。まさに至れり尽くせりのありがたい場所だ。

「報道の自由を守るために素晴らしい発明じゃないか! さすが日本!」と称賛する人もいるかもしれないが、世界ではこういう閉鎖的な任意団体はつくらないのが普通だ。報道機関が権力側に対して過度に「依存」を強めて、思うままにコントロールされてしまう「アクセスジャーナリズム」と呼ばれる弊害の温床になるからだ。

「記者クラブ」の所属記者たちは基本的に同じ情報が横並びで渡される。日本人が大好きな「平等」が徹底されているのだ。ただ、閉ざされた世界でそれをやるとどうなるのかというと、テレビや新聞の情報が基本的にみな同じで、どのチャンネルをつけても、どの新聞を読んでも似たような情報、似たような切り口、似たような論調になる。

記者会見場に並ぶ多数のテレビカメラ
写真=iStock.com/microgen
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官僚からすれば記者は「下請け業者」

しかし、テレビや新聞も民間企業として「競争」をしているわけなので、どこかでこの横並びから頭ひとつ抜け出したい。

そこでどういう現象が起きるのかというと、記者クラブの記者たちが、深夜や早朝に官僚の自宅などを訪問して、個人的にアプローチをして特ダネをとってくる。これを「夜討ち朝駆け」なんていかにもそれらしい呼び方をしているが、やっていることは基本的に官僚と信頼関係を築いて、いかに自分だけに情報漏洩をさせるのか、という競争なのだ。

こういう扱いを若い頃から受けた官僚はどうなるのかというと、マスコミを「下」に見るようになる。自分がポロッとこぼした話を「○○省幹部」なんて匿名で扱い、自分が流した資料を「スクープ」として喜んで扱う若い記者たちを見ると、「下請け業者」のように考える。