宣教師が見た岐阜城の豪華さ

岐阜城は標高329メートルの金華山上に築かれている。このため、山上の城郭と山麓の城主の居館に分かれるという二元構造にならざるをえず、その点では旧時代を踏襲していた。しかし、そうだとしても信長はやることが違う。従来の「砦みたい」な城とは似ても似つかない、驚くべき構造と絢爛けんらん豪華な建築を導入したのだ。

イエズス会のポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスが著書『日本史』に、岐阜城を案内されたときに目にしたものを書き残しているので、一部を引用したい。(松田毅一・川崎桃太訳『完訳フロイス日本史2』中公文庫より)

「宮殿は非常に高いある山の麓にあり、その山頂に彼の主城があります。驚くべき大きさの加工されない石の壁がそれを取り囲んでいます」
「内の部屋、廊下、前廊、厠の数が多いばかりでなく、はなはだ巧妙に造られ、もはや何もなく終わりであると思われるところに、素晴らしく美しい部屋があり、その後に第二の、また多数の他の注目すべき部屋が見出されます」
「私たちは、広間の第一の廊下から、すべて絵画と塗金した屏風で飾られた約二十の部屋に入るのであり、(中略)これらの部屋の周囲には、きわめて上等な材木でできた珍しい前廊が走り、(中略)この前廊の外に、庭と称するきわめて新鮮な四つ五つの庭園があり、その完全さは日本においてははなはだ稀有なものであります」
「二階には婦人部屋があり、その完全さと技巧では、下階のものよりはるかに優れています。部屋には、その周囲を取り囲む前廊があり、市の側も山の側もすべてシナ製の金襴の幕で覆われていて、そこでは小鳥のあらゆる音楽が聞こえ、きわめて新鮮な水が満ちた他の池の中では鳥類のあらゆる美を見ることができます」
「三階は山と同じ高さで、一種の茶室が付いた廊下があります。それは特に精選されたはなはだ静かな場所で、なんら人々の騒音や雑踏を見ることなく、静寂で非常に優雅であります。三、四階の前郎からは全市を展望することができます」
現在の岐阜城。1956年に建てられた模擬天守
現在の岐阜城。1956年に建てられた模擬天守。[画像=HOSTで巡査部長(硫黄島観賞)/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

前代未聞の高層建築

フロイスが描写した山麓居館の跡地からは、発掘調査の結果、長さ3メートル近い巨石を並べ、まっすぐ進めないように喰い違いにした虎口が見つかった。その先の雛壇に造成された区画からは、庭に玉石を張った池も出土した。また、中央には信長が石で護岸した谷川がいまも流れ込み、その北側からは大きな庭園が発見され、背後の岩盤から滝が流れ落ちていたことがわかった。

そしてなにより、4階建ての建物があったという記述が注目される。それまで日本には4階を超える高層建築はほとんどなかった(床がない五重塔は5階建てではない)。周囲からは金箔きんぱく瓦も発見され、この4階建ての建築が、安土城の絢爛豪華な五重の天主に発展したことは疑う余地がない。