日本初の天守の可能性
さらに信長は、あちこちに岩盤が飛び出る山上も手を抜かずに整えていた。フロイスはこう書いている。
「この前廊に面した内部に向かって、きわめて豪華な部屋があり、すべて塗金した屏風で飾られ、内に千本、あるいはそれ以上の矢が置かれていました」
これが天守についての記述かどうかはわからない。だが3年ほど前、現在、鉄筋コンクリート造の天守が建っている天守台の周囲から、信長時代の天守台の石垣が発見された。高層建築かどうかはわからないが、天守相当の建物が山上にもあったのはまちがいない。
大坂城も江戸城も信長なしでは考えられない
長く続いた戦国の群雄割拠から抜け出し、久しぶりに権力をひとりのもとに集中させていった信長。だから、それまでにない規模の途方もない工事をほどこして、「砦みたい」だった城を、われわれが「城」と言われて思い描くものに、いや、ある意味、多くの人の想像を超えるほど豪華なものに変えていった。
もちろん、権力が集中しただけでは、時代を画するほどの構造物を出現させることはできない。そこには信長ならではの独創性が、押しつけがましいほどに表れている。
豊臣秀吉の大坂城も、徳川家康の江戸城や駿府城、名古屋城も、結局は信長の独創的な築城があってこそ、その延長に出現し、発展することができた。
信長が本能寺で横死せずに生きながらえていたら、日本の歴史的景観は、現況とはかなり違ったものになっていたのではないだろうか。私はついついそんな夢想をしてしまう。