植田日銀の最初の壁とは

しかし、黒田総裁の円安誘導は、ゼロ金利、マイナス金利が世界に浸透していくと、次第に効果が頭打ちになってきていた。世界各国もゼロ金利になって、金融だけでは円安誘導ができなくなったからだ。窮余の策として、16年9月に日銀はYCC(イールドカーブ・コントロール、長短金利操作)導入を決定した。伝統的には、金融政策は短期金利の操作で行い、長期金利は自然な動きに任せる。それに対して、YCCは10年物国債の金利の変動許容幅に収まるように国債を買い入れ、短期から長期までの金利体系全体の動きをコントロールしようとするものである。

21年以降はコロナ禍への対策、22年以後はウクライナ侵攻の対ロシア制裁のため、世界中でインフレが起こり、欧米ではインフレを高い短期金利で制御しようとした。日本の長期国債金利をゼロ近くに固定するような政策のもとでは短期金利も上がらないので、ドル高円安が進んでいく。長期の量的政策を変えると、為替レートは極端な乱高下(オーバーシューティング)が起こるという、植田氏のMITでの師であるルディガー・ドーンブッシュの理論に類することが現実に起こっているのだ。

為替レート
写真=iStock.com/Torsten Asmus
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22年以降、円が下落し、今は消費者物価で比較しても、生産者物価で比較しても円は安すぎる状態だ。しかし、円安を是正しようとして、金利を急に上げると、債券価格が大幅に下落して国債や社債などの債券保有者がやけどする可能性がある。「金融正常化のためには金利を上げたいが、債券保有者の急激な損失も避けたい」というのが、新日銀の置かれたジレンマである。

なお円安になると、貿易収支は一時的に悪化する。しかし、やがて価格競争力が増して輸出が増加し、徐々に改善に向かう。そのため円安が景気に反映するまでには約2年を要するというのがJカーブ効果である。

現在の円安は22年3月に始まったが、「円安のポジティブな効果が表れるまでYCCを維持すれば、そのうち米国の急激なインフレも収まって金利も下がり、現在の過剰なドル高円安は是正されるだろう」というのが、おそらく黒田総裁の戦略と思われる。好意的にみれば、「日本経済は1995年からアベノミクスの開始まで、20年以上も円高で苦労した。今回の円安の利益が出るまで2、3年は待たしてもらってもよいのではないか」ということになる。

2月24日、植田和男氏に対する所信聴取と質疑が衆議院議院運営委員会で行われた。そこでは金融緩和について「さまざまな副作用が生じているが、経済・物価情勢を踏まえると、2%の物価安定目標の実現にとって必要かつ適切な手法であると思う」と発言し、黒田総裁の路線を継承する立場であることを示した。

植田氏は日本経済を不況から救った黒田総裁の基本路線を進むと思われる。そんな植田氏を指名した岸田政権の基本方針は正しい。現在の長短金利操作と、欧米の高金利との間の調整は依然として残る。植田氏は経済理論と計量モデルに精通している。ゆえに、経済メカニズムに忠実でありながら、しかも政策変更の影響を受ける市場関係者のことも考慮しつつ、緩やかに調整していく道を選ぶだろう。

(構成=渡辺一朗 写真=時事)
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