なぜNHKは“長髪”の塾高の映像を映さなかったのか

近年は、全国の多くの高校野球部が「自由・自主性」「エンジョイベースボール」といったことをうたっているが、元をたどればその根源は慶應だ。

1908年、慶大野球部がハワイ遠征をして日系人の腰本寿を連れて帰ってくる。腰本は大学でプレーした後に塾高の監督になって、第2回夏の甲子園(当時は中等学校選手権)に優勝する。

「腰本さんは日本の野球は武士道、修行みたいだから、もっと楽しくやろうと。前田さんが影響を受けて、エンジョイベースボールは慶應がやるべきもの、と今まで継承されてきた」と上田は言う。

上田誠前監督
撮影=清水岳志
上田誠前監督

エンジョイベースボールを端的に表しているのが頭髪だ。かつて、塾高が甲子園に出場して負けて引き上げるときに、ネット裏の観客から「髪の毛を切って出直してこい」とヤジられたそうだ。でも、そんなことで慶應生は一切ぐらつかない。このヤジ騒動から数十年経った今も、元選手たちは「当時から髪は長かった」と自慢するそうだ。

上田は塾高が代表校となったある甲子園大会開会式のNHKの中継録画を見て驚いたことがある。国旗掲揚の時だ。整列した代表校の選手が順番にモニターに映し出されていたが、慶應の順番になると突如違う画像に切り替わった。そして次の高校で元の画像に戻ったという。偶然なのか、それともNHKが丸刈り以外を放送禁止扱いしたのか。それはわからない。

上田は湘南高校から慶大野球部に進み、卒業後、英語教師に。最初の赴任校は神奈川県の桐蔭学園で野球部のコーチ・副部長を務めた。さらに公立校の監督などを経て、1991年秋から塾高の監督に就任する。

「県内の公立高校に行った時は、選手に髪の毛を伸ばしてプレーさせましたが、不評でした。(それまでの丸刈りと違う長髪だと)友達と街で会った時に恥ずかしい、と。親も怒っていたなぁ。試合をすると相手チームも嫌がるしね」

まだ、丸刈りが当たり前の頃だ。

1991年に塾高に移った時、部員は髪の毛は伸ばしていたが、厳しい上下関係は残っていた。

「(自分の出身校)湘南ではパワハラ的なことはされたことないし、監督は合理的な方だった。塾高のコーチになった時は、正座の説教はあったし、下級生はグラウンド整備を遅い時間までやっていた。どこかビクビクする中で野球をやるのはどうかなと思っていました」

そこで、新チームを預かるタイミングで監督に就任し、まず、緩くしようと提案する。

「1年生は体力がまだないし、早く帰って疲れを取るべきだし、宿題もしないといけない。だから体力のある上級生が整備をやろう」

塾高現監督の森林はこの提案をされた時、野球部の2年生だった。当時を振り返る。

「下級生は上級生の飲みたい物を買い出しに駅前まで行かされるし、(グラウンド整備で)最後まで帰れないし。そこに上田さんが監督になって、そういうのをやめないか、と。ガラッと変えてくれてうれしかったですね」

指導者も選手も、野球部の習慣を変えたいと思っていた奇跡的なタイミングだったのだ。