野党共闘路線もあえなく挫折

加えて、反自民・反政権のロジックを旗頭に、現状批判票を糾合する意味での野党共闘路線についても、旧立憲民主党と日本共産党、社民党などとの候補者調整が進むものの、これらの候補者一本化は右派野党としての日本維新の会の台頭と、旧立憲民主党・日本共産党両党を支える支持組織同士の相性問題もあって挫折を余儀なくされます(※)

(※)「投票率が上がれば、自民党がより勝つだけ」政府批判しかしない野党が無視する残念な真実 なぜそんな勘違いをしてしまうのか

横浜駅西口で街頭演説をする日本維新の会の候補者たち
横浜駅西口で街頭演説をする日本維新の会の候補者たち(写真=Noukei314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

つまり、従前の日本政治の枠組みのように、政党が自らの綱領を作り、それに基づいて財政から外交、労働、社会保障まで、各種政策をきちんとそろえて政権を担いうる政党となろうという既存政党は、労働組合他左派的イデオロギーや運動論の衰亡とともに支持層が高齢化してしまったことになります。

逆に言えば、野党がしっかりとした「政権担当能力」を持ち得るか否かは、過去には日本新党・細川護熙政権の成立や、自社さ村山富市政権と同様に、有権者による政党選びが政権交代に直結したという点では重要な論点でした。

インディー政党から“メジャー化”した事例も

一方で、旧NHK党のようなインディー政党は綱領も政権を担いうる政策もまともに準備できていないけど、政治が分からない人の関心や目線に合わせて、分かりやすく活気のある政策を打ち出し、政権なんか取れないけど現状に不満のあるやつは応援してくれと言わんばかりの作戦に打って出て現代議会政治の一角を占めることに成功したと言えます。

振り返れば、当時大阪府知事であった橋下徹さん率いる旧大阪維新を結党後、地域政党から出発して松井一郎さんを代表に据えることで一気に成長し国政政党になったわけですが、これだって立派なインディー政党であったと言えます。

ただし、国会議員団が組織され幹事長に藤田文武さんが就任すると、やはり組織としてきちんとした運営が必要になり、政策面でも大阪を元気にする目線だけでなく日本全体の財政や社会保障などもしっかりと政策面で取り組む姿勢を出すなど、脱インディー、メジャー化の動きになっていくものです。

旧NHK党や参政党、れいわ新選組などのインディー政党が、これら維新の会や都民ファーストのような一定の規模と組織を得て政治勢力として一人前を目指すのかどうかも実はよく分かりません。来月4月に控える統一地方選挙において、これらの政党がどこまで議席を確保するのかによって、今後の展開に大きな違いが出てくるのは間違いないでしょう。