「私が欲しいのはこれである」
また、同13年に柬埔寨から書簡が届くと、「占城の奇楠香の希求を述べ、『占城国王』に頼んで極上品の奇楠香を探してほしいと依頼し、『予の求むる所は只この一件なり』と奇楠香を節に求めた」(『人物叢書 徳川家康』)という。
この経緯をみると、朱印船貿易の目的が、少なくとも家康にとっては「沈香」、なかでも上質な「奇楠香」の獲得にあったと言い切っても過言ではない。
まさに「香木『奇楠香』獲得が東南アジア諸国との外交の主要課題」(藤井氏、前掲書)で、家康は「特に極上とされた奇楠香すなわち伽羅の買い付け一本に絞った貿易を試みていた」というありさまだったのだ。
香木の使い道
家康はなんのために、これほど香木に執着したのだろうか。各種史料によると、枕元で焚いたり、袋に入れて懐中に忍ばせたりし、使用する場に応じて調合の仕方を変えていたようだ。香木を焚かずに常温で使用する場合は、より香りの強いものが求められるので、各国に対する猛烈な要求につながったと考えられる。
前出の藤井氏は、家康のこだわりの背景には「気鬱を散じ、心を慰めること」という狙いがあったとみる。要するに、いまで言うアロマテラピーであり、香りに包まれてリラックスすることが精神および肉体の健康につながると、家康が認識していたということだ。
家康の香木への執着は、ある意味、常軌を逸している。圧倒的な権力者で、日本中の富が集中した空前の金持ちの道楽、だったとしても、本草学をふくめて強い執着を貫いた先に、当時としては異例の75歳までの長寿が得られたのではないだろうか。
また、各方面に対する同様の執着心が、天下人への道につながっていた――。そう考えると、この香木への執着は、家康の人物像を把握するうえで、ひとつのキーになるのではないだろうか。