カウンターカルチャーを冷笑し、保守化を後押しする構図
「オタク」気質の監督がカウンターカルチャーを「冷笑」し、その結果、保守化を後押しする。どこかで見たことがあるような構図だ。だがタランティーノには、別の言い分があるようだ。彼は、映画の舞台となった1969年についてこう語っている。
タランティーノの矛先は、60年代のカウンターカルチャーそのものではなく、じつは現代のリベラルに向けられていた。2010年代、世を覆ったポリティカル・コレクトネス。だがそれは時に言葉だけで空回りし、人々に軋轢を生む。タテマエを振りかざすだけのリベラルに反感も広がる。
その状況は、思わぬ副作用を起こしたとジョセフ・ヒースは言う。
「ポリティカル・コレクトネスが発展する中で、リベラルたちがどんどんルールを設けるようになりました。そして、若者は、ルールに反抗するのです。
こうして、カウンターカルチャーの担い手が、私が全く共感できない右翼の若者になったのです。自分のことを『ナチス』と呼んだり、人種差別的なことをしたり、オンラインで人をけなしたりするのが、今どきの反逆の形になりました。その多くは、左翼やヒッピー、パンクなどの反体制文化にあった反逆の衝動とまったく同じことなのです」
偉大なる実験国家アメリカの行方
カウンターカルチャーの「抵抗」の衝動だけを受け継いだかの如き右翼的な若者たち。反転する時代。アメリカがカルチャーを通して、世界に広げようとした、自由と民主主義。反転を繰り返す時代の中、どこへ向かうのか? 2020年代、さらに続く分断と混乱。時代のゆくえは? サブカルチャーに、何ができるのか?
最後に、本書に登場した批評家たちの中から4人の意見を聞いてみよう。
まず、次世代を担う映画評論家アリソン・ウィルモアから。そしてヒース、ローゼンバウム、アンダーセンに、時代の行方とサブカルチャーについて語ってもらおう。
「私が未来に望むのは、私たちが視聴者として、なじみのないものや、見たことのないストーリーを試してみることです。例えば、『パラサイト』がアカデミー作品賞を受賞したことや、『イカゲーム』がネットフリックスで大ヒットしたことは、アメリカの観客がようやく他国のコンテンツに興味を示し始めたことを表していると思います。グローバルな映画を作るだけでなく、私たち観客がよりグローバルな興味を持つように学ばなければならないのです」(アリソン・ウィルモア)